孫文は政治活動をした30年のうちおよそ三分の一に当たる約10年間、日本に滞在していた。したがって何らかの形で孫文を援助した日本人は数多い。しかし、援助の規模(時価約2兆円といわれる)といい、何らの見返りも求めずひたすら革命の成就のみを願った志といい、梅屋庄吉の業績は際立っている。しかも、「私のやったことはすべて孫文との盟約に基づくものなので、口外してはならぬ」との遺言があったため、最近まで中国でも日本でもその業績はほとんど知られていなかった。しかし、辛亥革命100周年を来年に控えた今、その偉業を辛亥革命の意義とともに回顧するのに適切な時期が来た。
8月24日から29日まで、上海万博の日本館で「孫文と梅屋庄吉展」が行なわれたのに続き、9月3日、中国宋慶齢基金会が主催する「孫文、宋慶齢と梅屋庄吉展」が北京にある宋慶齢故居で開幕した。
インタビューを受けるアジア平和貢献センター理事長、早稲田大学元総長の西原春夫氏
孫文を援助した日本人が多い中で、なぜ今回特に梅屋庄吉の業績に焦点を当てたかについて、アジア平和貢献センター理事長、早稲田大学元総長の西原春夫氏は次のように述べた。「理由は、多くの日本人が孫文を扶けた動機は、すべて後年日本の国家政策とされた日本を盟主とする大東亜共栄圏思想の先駆をなすような国粋主義的な思想にあった、と見る誤解を解くところにある。確かに当時の日本人の中にも、そのような政治思想に駆られて行動した人がかなりあったように思われる。それはそれで決して否定すべきではない。しかしそれを強調するあまりすべての日本人の動機がそうであったような印象を持たれることは、何としても避けなければならない。梅屋庄吉が元来そのような政治思想とは無縁の人でありながら巨大な援助を惜しまなかった事実を知って頂くことは、ありうべき誤解をさりげなく回避するのに資すると思う」。
「北京週報日本語版」2010年9月8日