孫文と梅屋庄吉の交誼とその時代

孫文と梅屋庄吉の交誼とその時代。

タグ: 中国 日本 孫文 梅屋庄吉 交誼 シンポジウム

発信時間: 2010-09-10 17:20:17 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

アジア平和貢献センターの西原春夫理事長

次に、アジア平和貢献センターの西原春夫理事長が「孫文研究の現代的意義――ヨーロッパ史の影響という観点に重点を置いて」と題する基調講演を行った。西原春夫理事長は、「辛亥革命の意義を『大きな歴史の流れ』との関連でとらえるという場合、その中心には『近代ヨーロッパにおける帝国主義の成り行きとその影響』がある。これこそが、辛亥革命の意義を立体的にとらえるための必要不可欠な観点だと私は考えている」と述べた。

基調講演に続き、「孫文・梅屋庄吉の交誼及びその理想」、「孫文と梅屋庄吉の時代」、「清末民初の中日関係」などのテーマをめぐり、ディスカッションが行われた。

梅屋庄吉のひ孫に当たる小坂文乃さん

ディスカッションの中で、梅屋庄吉のひ孫に当たる小坂文乃さんは孫文と梅屋庄吉の交誼を紹介した。小坂文乃さんは次のように述べた。「孫文に関わった日本人は300人以上いるというふうに言われている。彼らがこの革命に関わった動機からみると、自由民権主義、国権主義、政界・財界の有力者という3つのグループに分けられる。それぞれの立場から革命に関わる動機も違っているが、革命運動本来の目標とは異なる動機で革命を利用していたとみられる。そういう意味から、孫文と真の意味での友人と言われる人はごくわずかだった。民間人の立場で物心両面から孫文の革命を支え続けた梅屋庄吉はその1人として挙げられている」。

孫文は政治活動をした30年のうちおよそ三分の一に当たる約10年間、日本に滞在していた。したがって何らかの形で孫文を援助した日本人は数多い。しかし、援助の規模(時価約2兆円といわれる)といい、何らの見返りも求めずひたすら革命の成就のみを願った志といい、梅屋庄吉の業績は際立っている。

なお、「孫文、宋慶齢と梅屋庄吉展」は、12日まで後海の宋慶齢故居で行われている。

(写真はいずれも繆暁陽記者が撮影)

「北京週報日本語版」 2010年9月10日

 

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