知る人ぞ知る、中日「ランの花外交」 その三

知る人ぞ知る、中日「ランの花外交」 その三。

タグ: 知る人 知る 中日 「ランの花外交」 孫平化 

発信時間: 2010-09-10 14:06:04 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中国の密使が日本の政界の重鎮と会談、「ランの花外交」が中日交流の道を開く

最初の戦いが終結後、孫平化氏らは日本の知人の助けを借りて日本の政界の重鎮と相次ぎ会談し、新たな秘密外交を展開した。これには思いがけない効果があった。日本の政治家、宇都宮徳馬は自宅の庭で中国からの客人のために盛大な宴会を催し、当時、日本通産省で設備審査を担当していた長谷敷寛通商課長をわざわざ招き、宴会の間に二階の小部屋で中日貿易問題について協議するよう孫平化氏と引き合わせた。

日本の外相となった園田直氏もまた、池田内閣で中日関係改善を支持していた実力派、建設大臣の河野一郎氏と孫平化氏の日本料亭での面会を取り持った。当時、自民党幹部のひとりだった河野一郎氏は孫平化氏との対談で、「池田首相は中国の立場を理解している。日中貿易を展開する決意もある」と語った。

その後、孫平化氏らは自民党議員の高崎達之助氏に、日本の首相、池田勇人氏と中日貿易問題について意見を交わすよう頼んだ。高崎氏は池田首相と秘密裏に会談、その後孫平化氏に「池田首相は必ず約束を守る。日本政府はすでに上も下も中国に合成繊維製造設備を輸出する意見でほぼ一致している」と伝えた。

1963年6月29日、中日双方は北京で、総額73億5800万円の日本の合成繊維製造設備導入に関する契約を取り交わした。最初の設備貿易取引の成立によって日本のメーカーは日中貿易に対する自信を強め、中日「ランの花外交」は大きな成功を収めた。

この時のランの花とは関係のないランの花代表団の訪日は、中日関係がその後発展していく上で深遠な意味をもっている。合成繊維製造設備の導入は、当時の中国の衣料不足問題を解決するのに重要な役割を果たした。代表団が接触した日本の政治家はその後、日本の政界の重鎮となった。園田直氏は官房長官、外務大臣を歴任、河野一郎氏は衆議院議長となった。彼らは日本政府が最終的に中日国交正常化の決定を下す段階で極めて重要な役割を演じた。

ランの花代表団の訪日成功によって中国側は、両国が外交関係の途切れた難しい状況にありながら、日本には両国関係の発展に個人的な利益の犠牲も惜しまない有識者がまだ多くいることを知ることとなった。ただ残念なのは、「ランの花外交」を築いてきた松村謙三氏が中日関係の正常化を目にすることなく、1971年に病でこの世を去ったことだ。享年88歳。だが、彼の中日友好関係への貢献は永遠に両国の歴史に刻まれることだろう。

「人民網日本語版」2010年9月10日

「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで

コメント

コメント数:0最新コメント

コメントはまだありません。