ロシアが北方四島に建造した東正教会とレーニン像
「トップが行くということになると話が違う。日本側の思いも勘案して対応してもらいたい」
ロシアのメドベージェフ大統領が初めてトップとして北方領土の訪問を明言したことを受け、前原誠司外相は5日、日本外国特派員協会で講演した際、こう述べてロシア側を強く牽制(けんせい)した。前原外相が北方領土問題で態度表明を行ったのは、この1週間で2度目になる。ここからも、ロシア大統領の北方四島訪問に対して日本側がどれだけ神経をとがらせているかがうかがえる。中国紙、世界新聞報が伝えた。
この60年余りの間、北方四島の返還をロシアに求めてきた日本。経済援助をえさに、ロシア政府と島民の心をなびかせる戦略を取ってきた。だが現状からみると、こうした戦略は効果薄だったようだ。
いわゆる北方四島とは、ロシアのカムチャッカ半島と日本の北海道の間に位置する国後島、択捉島、歯舞島、色丹島の四島を指し、面積は5千平方キロメートル余り。第二次大戦の終結後、米国、ロシア、英国の間で結ばれたヤルタ協定によって、日本が領有していた千島列島と庫頁島(中国での呼称。日本では樺太島。ロシアではサハリン島)の南半分がソ連領と画定された。これにより、北方四島に暮らしていた日本籍の島民1万7千人は島から追い出されることになった。これら元島民は半数がいまも生きており、ほとんどが北海道で暮らしている。現在、北方四島はロシアのサハリン州に属しており、島民の大多数は旧ソ連の各地から移り住んだロシア人。四島合わせても空港は1カ所のみで、自動車道路もわずかしかなく、島民は主に漁業や農業で生計を立てている。
日本ではここ数十年の間、北方四島の返還に向け、“ソフトパワー”による働きかけが行われてきた。ソ連軍に当時追い出された日本人の子どもや孫たちは、墓参りのために島をよく訪れているほか、千島歯舞諸島居住者連盟を設立し、島を後にしてからの悲惨な暮らしを、さまざまな場で訴えてきた。同連盟は2008年、170万ドル(約1億4千万円)の運営資金を手に入れた。
一方、日本政府も北方四島の居住者に薬や医療機器、燃料、食料など多くの援助を行っている。1994年、北方四島で大地震が起きた際、日本政府は先手を打って救援チームを派遣、さらに病院まで建設した。日本は現在、国後島に発電所を建設中という。
北海道と北方四島の居住者の間でビザなし交流が1992年から始まった。これまでに日本人1万人余りが国後島、択捉島、色丹島を訪れており、その多くは元島民とその子ども、配偶者だ。訪問日程には学校と教会の見学、居住者との懇談会、墓参りなどが組み込まれている。一方、日本側がロシア人観光客を迎える場合は、日本人家庭の訪問や商店での買い物、日本語講座など、日本の好感度を高める内容が盛り込まれている。日本人の北方四島訪問と島民の日本訪問は、いずれも日本側が費用を負担している。
北方四島まではロシア本土よりも日本の方が近いことから、北方四島では日本の商品をよく見かける。島民は日本の防寒服を身に着け、日本の中古車に乗り、日本製の電化製品に囲まれて生活している。しかし、島民は日本になびくことはなく、強い警戒感を抱き続けている。これは日本が領土問題の示唆をかたときも忘れることがなかったからだ。島を訪れる日本人は手ぶらやってくることはない。日本語の自習用教材や「北方四島の歴史を知っていますか?」と題したロシア語のビデオなど、さまざまな手土産を置いていく。
国後島に暮らすロシア人女性のトーニャさん(60)は、日本人観光客を迎えるために日本の民謡「さくらさくら」を覚えたという。「でも、まずはロシアの『千島の歌』を日本人に聞かせて、北方四島は私たちの領土だと伝えるの」。トーニャさんは少し得意げにこう語った。
「人民網日本語版」2010年10月11日