朝鮮投降の日本武将 600年後に日本で認められる

朝鮮投降の日本武将 600年後に日本で認められる。

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発信時間: 2010-12-10 11:03:16 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

韓聯社の12月9日の報道によると、600年前、日本の侵略による朝鮮戦争時(1592-1598年:豊臣秀吉の朝鮮出兵)に朝鮮での軍事指揮を任され、後に朝鮮に投降し日本軍を攻撃したひとりの武将が居た。近日、彼は日本で改めて認められ、彼の功績を称えた記念碑が建てられた。

彼は朝鮮では金忠善(韓国名:キム・チュンソン)と呼ばれ、元の名は沙也可(日本名:さやか)である。1592年、朝鮮侵略部隊の有力な将軍だった。しかし、彼は日本の侵略が無意味だと感じ、自らの部隊共々朝鮮に投降した。その後、日本への攻撃に参加し、「丙子胡乱(1636-1637)」と「李適之乱」にも参加し功を立てた。この功績により朝鮮では正二品の正憲大夫の位階まで昇格し、「金」という姓を賜った。現在の韓国には彼の名を受け継ぐ末裔が7000人以上も居る。

和歌山県の名所である紀州東照宮の境内に金忠善(日本名:沙也可)を記念して顕彰碑が建てられた。日本の衆議院議員である二階俊博氏(自民党)はその除幕式に参加した。顕彰碑の高さは1.5メートルで、両面にハングルと日本語両方で彼の辿った人生を紹介する文章が記されており、日韓の友好関係が永遠に発展していくことを願う言葉も刻まれている。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2010年12月10日

 

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