文=日本問題コラムニスト 陳言
3月11日、日本で発生した「東北地方太平洋沖地震」は、「マグニチュード9」の大規模な地震で、日本の人々の想像を絶するものだった。
「冷蔵庫が急に飛び上がって、キッチンからリビングまで滑ってきた。家全体がガタガタと音をたて始め、地震が来たんだと思った」と東京に住む林さんが話してくれた。
雑誌編集社に勤める加藤さんのオフィスはビルの3階にあり、より強い揺れを感じたようだ。地震が収まり、テレビをつけてみると、「地震はマグニチュード8.8、福島県などで7.3mの津波が予想される」という速報が流れていた。そして、放送していた番組が中止され、全ての放送局で地震の最新情報が流れ始めた。「東京でも良く地震が起こるが、こんなに強い地震に遭ったのはこれが初めてだ。本当にぎょっとした」と加藤さんは電話で話していた。
その数分後、加藤さんのオフィスから中央区のほうで煙が立っているのが見えた。テレビを見ると、もくもくと黒煙が上がっているのは、海上保安庁のビルだということがわかった。「心から恐ろしいと感じた」と加藤さんは言う。
地震の被害が深刻な宮城県の情報は少ないが、東京周辺の県の被災状況はどんどん伝わってくる。千葉県では地震の直後、地面のあちこちから地下水と土砂が噴出し、逃げ切れなかった車などが泥水の中で立ち往生している。車の中にいた人々は窓から脱出して難を逃れたという。林さんの家の近くにある駅前広場では、膨大な数の乗客がうろたえることなく待っていたそうだ。人々は落ち着いて避難し、広場は見る見るうちに人で溢れた。携帯の回線は既にパンクして通じなかったが、固定電話ではまだ連絡が取れた。