春は日本の美しい季節の一つ。
梅が咲き、桃が咲き、そして桜が咲くと日本中が薄紅色に染まる。
私は日本を信じる。冬は必ず春となる。東北にも春が必ずやってくる。
日本、世界の力が春を必ず訪れさせる。
日本の一年は春に終わり、春に始まる。卒業、入学、入社…
息子の中学卒業式は、震災から5日後に行われた。
世界や日本全国各地に散らばる先輩の晴れ姿に後輩が涙し、先輩後輩の小さな輪がたくさんできるという光景があるはず。
だが、今年はちがう。
近隣の学校では次々と卒業式が中止されていた。息子の学校でも中止がささやかれていた。でも、関係者、先生方のご尽力で卒業生と親だけの参加、時間を短縮して何とか実施された。
不安。余震。この卒業式を彼らは一生忘れまい。
3.11 東京も揺れた。
私は、東京日本橋にある職場に近い銀行で最初の揺れを感じた。
日本人は地震に慣れている。通常の揺れでは立ち止りもしない。
いつもと違う。とうとう来た。そう思った。そして子供たちを思った。
外に出ると一方通行4車線の幹線道路の車はみな止まり、周囲のビルからガラスが落ちてくるのを予想してか、道路の真ん中に人が集まっていた。三輪車に乗る子供の上をお母さんが覆っている。周りの10階建て以上のビルが柔らかいゴムのようにグラグラしていた。
今、どこにいるだろう。下校途中か。中学生の子供たちはどこでどう判断しただろう。
揺れが収まり、とにかく帰らなくてはと思った。電車は動いていないだろう。
電車でも1時間半の道のり、ネットで道のりを調べる。35km、徒歩なら6時間半…
今日中に帰れるだろうか。とにかく子供たちに会いに行かなくては。
きっと不安になっている。きっと怖がっている。
東京はかなり揺れたものの、実際に道が遮断されたわけでも、多くのビルが倒壊したわけでもない。2時間ほど歩くとタクシーもつかまり、渋滞で時間はかかったが、夜半には無事に家に到着した。
息子は自転車で帰宅途中揺れを感じたが、通常通り帰宅し、熟睡中…
娘は駅にいて、とっさに出口を探し、友人を励まし、一番近い友人宅へ避難。
二人はたくましく、十分に訓練され、それを活かして、慌てることなく最善の選択をした。
夫は遅い時間に電車が動き出した時に会社で解放され、無事帰宅。
そして、テレビで始めてみる津波により破壊された美しかった東北の街、断絶された家族。
日本は世界でも稀な教育水準が平均化された国だ。
人々は理性的に行動できるし、「世間」の強制力も機能している。
世界でも類を見ない震災に直面し、津波に襲われ、そして放射能の脅威にさらされていても、日本人はパニックすることなく、略奪することなく、買い物の列を乱すことなく、助け合って生きている。今こそ、信じよう。私たちの持っている力を!今、自分ができることをやろう。見えない不安に負けることなく、萌え出ずる春の力のごとく立ち上がろう。(高田英子)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年3月20日