理念の違い
その他に、日本の教科書には、団結や協力の精神を重視した教育理念が多く見られる。例えば、4番目の本文には有名な絵本作家のレオ・レオニの童話作品『スイミー』があり、6番目の本文には『サンゴの海の生きものたち』があるが、どちらも文章と挿絵を上手く使って、海に住む生物たちが団結して互いの短所を補い合い、仲良く共に暮らす方法を簡明に分かり易く描写している。
中国の教科書には、例えば、『藍色的樹葉(青色の木の葉)』『窓前的気球(窓の外の風船)』『紙船和風筝(折り紙の船と凧)』などの本文があり、友情や友愛について触れていて、とても良いのだが、ただどれも、団結、協力、協調等とは無関係である。そして更に、一部の『聡明的韓愈(賢い韓愈)』のような本文には、強い英雄主義的な意識が見られる。別の『従現在開始(今から)』という本文に書かれているのは、次のようなお話である。
ライオンは自分に代わり「百獣の王」になる動物を見つけたいと思っていた。それで、「今から、お前達が順番に“百獣の王”になるのだ。それぞれの動物が一週間ずつ王になる。そして、一番上手くできた者が新しい森のリーダーになる」、と宣言した。
最初はフクロウの番だった。自分が百獣の王になったと思い得意満面のフクロウは、すぐにこう命令した。「今から、お前達は俺と同じように、昼間は寝て、夜に活動するのだ!」。これを聞いた動物達は文句を言い合ったが、命令に従わないわけにもいかず、仕方なく毎晩徹夜をしたのだが、一週間が経つと、誰もが悲鳴を上げた。
次の週はカンガルーの番だった。カンガルーは興奮した様子で、「今から、お前達は飛び跳ねながら歩くんだぞ!」、と言った。その言葉を聞いて、動物達はしきりに首を振ったが、やはり命令に従わないわけにもいかず、仕方なく飛び跳ね方を特訓した。
三週目は小猿が百獣の王になる番になり、動物達はとても心配した。今から、木の上に住んで、一日中ツタに捉まり、行ったり来たりしなければいけないのだろうか。思いも掛けないことに、小猿は次のように言っただけだった。「今から、全ての動物が自分のやり方で暮らすんだ」。小猿が言い終えるとすぐに、動物達から歓声が上がった。
ライオンはそれを見てニコニコしながら、「もう次の者に回す必要はない。ここに宣言する、今から、小猿が百獣の王だ」、と言った。
これを読んだ小学生の娘は、「お母さん、どうしてライオンが“百獣の王”を決めるの?」、と聞いてきた。その通りで、元々、森は動物みんなのものなのだから、誰がライオンは森の王であると決めたのだろう。
自分のやり方で暮らすのが自然界の生物の本能なのに、なぜ一匹の小猿がそれを宣言し、許可するのだろう。動物達に“百獣の王”が必要なのだとすれば、選挙で決めればいいのであって、なぜそれをライオンが決めるのだろう。このような童話が、他でもなく子供達が学ぶ教科書に入っているというのは、子供達に何を教えようというのだろう。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月13日