加藤嘉一への単独取材(2):意外にも国際的だった北京大学

加藤嘉一への単独取材(2):意外にも国際的だった北京大学。 北京大学に来る前は、「中国はわりと閉鎖的」というイメージがあり、彼はすぐに中国になじめるだろうと考えていた。しかし、意外なことに北京大学はかなり国際的だった。彼にとって、北京大学は今日の中国全体のシンボルであり、縮図である…

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発信時間: 2011-05-29 13:26:40 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

中国の五・四青年デーと北京大学創立記念日の前日だった2011年5月3日、加藤嘉一は香港鳳凰網の単独取材を受け、若者や理想、中国的論理や中日関係について語った。

「精神的成長が早かった」

▽最後の選択肢だった中国留学

2003年、彼はスポーツ特待生として東京大学に合格した。

中学3年の頃には、すでに海外へという気持ちがあった。「さもないと、日本の保守的な官僚主義体系の中で這い上がっていくのは難しい」と考えていた。彼の夢は国連で国際公務員になることで、そのためには国連の公用語のうち2ヶ国語をマスターしなければならない。英語は、高二ですでに翻訳をしていたので問題なかった。アラビア語、ロシア語は真っ先に候補を外れ、フランス語は上品過ぎるし、スペイン語は情 熱的過ぎ、自身を内向的な田舎者と認識する彼にとって、最後に残ったのが中国語だった。

また、当時彼の父親が自己破産申請をしていたため、欧米に留学する経済的余裕もなかった。こうして、折しも2003年の新型インフルエンザが猛威を振るう中、彼は北京大学の国際関係学院に入学した。「中国は私にとって最後の選択肢だった。中国留学は運命の偶然とも言うべきで、当時は中国に落ち着くことしか考えていなかった。」

▽意外にも国際的だった北京大学

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