このように問題を抱えた中国経済の今後を見通すために、日本の戦後経済史を参考にするとよいだろう。第二次世界大戦後、日本は高度経済成長により国民所得の高い経済大国として躍り出ている。1947年、一人当たりGNI(国民総所得)は47米ドルしかなかったが、1955年には209米ドル、1965年には890米ドル、1970年には1940米ドル、1980年には1万米ドル強、1988年には米国を上回る2万3千米ドルとなった。日本が歩んだ道は中国経済の行方を考える上で参考になる点も多いはずである。
日本の産業構造調整のための政策は主に以下の通りである:①基幹技術および基幹産業を強化し、中小企業を重点的に支援する政策を実施した。②人材、技術などの無形資産を重視する政策・体制を構築した。③戦略的地位を有する重点産業を重視しサポートを行なった。④企業の創業環境を整えた。⑤産業の競争力、安全性を高め、国民が安心して暮らしていける社会システムを構築した。新たな産業構造変革において、日本政府は政策の基本理念や普遍化をより重視しており、産業発展のための環境を常に改善している。
注目すべきは、日本政府が所得格差の縮小に尽力したことである。1960年代末期から1970年代初めにかけて、中間所得者層は一気に膨れ上がり、社会全体の70%以上を占めるようになった。また、1970年代初頭における都市化率、つまり都市部に住む人口の割合は70%に達した。中間所得者層が理想的な割合を保持することができたがゆえに、日本は比較的安定した社会を築くことができたのである。これに関しては中国が見習わなければならない一面である。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年7月27日