重慶抗戦調査研究課題班は2日、抗日戦争期間中の重慶の死傷者数と被害数字を初めて発表した。それによると、重慶の抗戦で3万人余りが直接死傷し、100億元法幣(ほうへい 1935年以降国民党政府が発行した紙幣)の財産が失われたという。
課題班が発表した「重慶市抗戦期の死傷者と被害」によると、1938年2月18日から44年12月19日にかけて、日本軍は6年10カ月にわたって重慶の爆撃を続けた。一般市民の居住区、学校、病院、外国大使館・領事館がいずれも爆撃され、3万2829人が直接死傷、6651人が間接的に死傷し、約100億元法幣の財産が失われた。1938年10月から41年8月までだけで、日本軍機延べ3585機が重慶の市街地を空襲し、9877発の爆弾を投下した。重慶および陥落地から重慶に来た被災者は17万2786人に上った。
このほか、重慶から前線に96万人の将兵が送り出され、うち死亡記録のあるのは1297人で、ほかに91万3401人が負傷した。
調査によると、重慶の抗戦遺跡の48・5%がすでになくなり、現存するのは395カ所で、比較的保存状態がよいのは177カ所にすぎないという。
2006年前半、中央党史研究室は抗戦期の死傷者と被害調査を正式に国の課題とし、全国の党史部門を組織して調査研究を進めるとともに、まとめて出版することにしており、「重慶市抗戦期死傷者と被害」が真っ先に完成した。
この間、重慶市は100人余りを動員して、40万部の公文書資料を調べ、431ページの報告をまとめた。台湾地区と日本の学者もこれに参画した。
「新華網日本語」より 2011年9月4日