◇横浜の3割の華僑が帰国し、革命に参加
馮佐屏一家は90年代初めの日本の広州華僑の縮図に過ぎない。当時、日本で先進的な知識を学び祖国に貢献することが、国内の志ある青年の潮流となっていた。
広州華僑は学問を学ぶだけでなく、祖国を憂い、国内の革命を身をもって行動し支持していた。辛亥革命勃発後、日本の華僑の間では「帰国熱」が高まる。横浜開港資料館の研究員、伊藤泉美さんによると、1909年に横浜には6280人の広州華僑がいたが、1911年には4236人にまで減った。約3割が去ったということだ。「彼らはいずれも帰国後、辛亥革命に参加した。孫文を代表とする革命派は横浜の華僑の間で非常に影響力があった」という。
◇広東人のグルメが長崎、横浜の名物に
400年近くにわたり広州華僑は日本で生活し、地元社会に融け込み、日本人の生活に鮮明な広州の跡を残している。日本のスーパーで売られているワンタン、シュウマイは人気商品。長崎名物の「ちゃんぽん」も「皿うどん」も日本在住の中国人が生み出したものだ。今では「長崎観光で必ず味わいたいグルメ」として観光ガイドブックで紹介されている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年9月22日