資料写真:日本の小学生
日本メディアは先ごろソウルで大規模な反日デモが行われたと報じた。参加者は日本の小中高校に韓国の末裔に対する侮辱的行為をやめるよう要求。実際、韓国人生徒が差別されるのは決して例外的なことではなく、現地の小学校では外国人生徒は多かれ少なかれこうした問題に直面している。外国人に対し偏見をもつ教師もいるという。彼らは外国人生徒の受け入れを拒否することはない、と公の場では言うものの、心底では「問題ある生徒」とのレッテルを貼っているのだ。『日本新華僑報』が伝えた。
事実、日本の小中高校での“外国人排斥”は決して個別の事例ではなく、周囲の環境あるいは社会的影響を受けているのは明らかだ。日本社会はそれ自身が大和民族という単一性を強調し、一種の外国文化排斥を信奉してきた。これも争う余地のない事実である
多くの外国人は、日本は自然環境が美しく、社会福祉も比較的完備された国だと考えている。だが、日本に生活する外国人はおおむね、1つの見えない壁を感じている。彼らの大半は社会の主流に融け込むことができず、程度の差こそあれ、それぞれが極めて大きな精神的プレッシャーを受けている。
総じて言えば、日本は外来の事物の受け入れには長じていても、移民を多く迎え入れると主張したことなどはない。成熟した「移民文化」が欠乏しているのだ。同時に、日本人も彼らの基準にそぐわない外国人を「嫌悪」しようとする。日本に行った後、かなり強い挫折感を味わった外国人もかなり多い。こんな分析がある。日本人は外国人を「外人」と呼ぼうとするが、それは中国語の「老外(外国人)」とは異なり、あなたは永遠に「自分」になることはできない、つまり、1本の鮮明な境界線がその表面に引かれているのですよ、ということを意味しているのだ。