奥井禮喜氏:直視しつつ考え続ける

奥井禮喜氏:直視しつつ考え続ける。 押し並べてスカッとしない一年が終わる。夙に予測されていたとはいえ年末には政権交代があり、それなりに刺激的であったのは事実だ。久しぶりに右傾化という言葉が顔を出した…

タグ: 年末 権威 労働紛争 職場 自尊心 苛め

発信時間: 2013-01-04 14:38:49 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

作家・高見順(1907~1965)が、川端康成(1899~1972)に、

「どうも書けなくて困っています。」と言ったら、

川端は「----健康なんですね。」と答えたという。

作家は、もちろん何かを表現したい。表現することが何であれ、それ相応に思いつめたものであろう。思いつめることが病的だといえば語弊があるけれど、プロたる作家としては、とても深刻なのだと思う。

思うように書かれないのは、書かねばならないという深刻が高まり、かつ醸成していないのであって、のほほんとしていられるのだから、見様によっては確かに健康に違いない。(と、まあ我流に解釈した。)

作家は小説家である。小説だから大説ではないかもしれない。しかし自己責任において自己表現するのだから、際立って自尊心に基づく行為である。さすが名を残す人は違うなあ、と感心したものである。

詩人ステファン・ゲオルグ(1868~1933 独)が、マックス・ウェーバー教授(1864~1920 独)に尋ねた。

「すべての人間が自分自身の審判者でありうるとお思いですか?」

「すべてがそうでありうるとは思いませんが、そうなるように彼らを成熟させることが究極の目標だと思いますよ。」

「では、あなたはご自分の審判者でありたいと思いますか?」

「ええ、私はそう思っています。」

この会話はおそらく第一次世界大戦後、敗戦国ドイツが惨憺たる状態にあったころではないかと思う。とりわけ青年たちが社会の不満を語り、うっぷん晴らしを求めていた。

教授は、そのような気風を熟知しつつも、否、だからこそ、誰かの煽動にうかうかと便乗するのではなく、わが内なる自立をめざせと言いたかったのではないか。

なるほど、われわれが直面する時代は奇形である。美しくない。面白くない。腹立たしくさえある。しかし、これは自分の時代である。嘆かず、自棄を起こさず、現実を直視して、自分の(人生の)仕事をなす。

現実を直視しつつ考える。新しい年へ。

 

奥井禮喜氏のプロフィール

 

有限会社ライフビジョン代表取締役

経営労働評論家

日本労働ペンクラブ会員

OnLineJournalライフビジョン発行人

週刊RO通信発行人

ライフビジョン学会顧問  ユニオンアカデミー事務局

1976年 三菱電機労組中執時代に日本初の人生設計セミナー開催。

1982年 独立し、人と組織の元気を開発するライフビジョン理論で、個人の老後問題から余暇、自由時間、政治、社会を論ずる。

1985年 月刊ライフビジョン(現在のOnLineJournalライフビジョン)創刊。

1993年 『連帯する自我』をキーワードにライフビジョン学会を組織。

2002年 大衆運動の理論的拠点としてのユニオンアカデミー旗上げ。

講演、執筆、コンサルテーション、インターネットを使った「メール通信教育」などでオピニオンを展開し、現在に至る。

高齢・障害者雇用支援機構の「エルダー」にコラム連載中。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年1月4日

 

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