文=コラムニスト・陳言
吉田恵子さん(約40歳)は、福島県富岡町の生活復興支援センターの職員だ。2011年3月11日の大震災、福島原発の世界で最も深刻な事故の発生後、彼女は原発から100キロ圏外の郡山市で勤務を開始した。彼女ばかりではない。原発周辺の富岡町の住民も、郡山への移住を開始しており、現地の生活に慣れ始めている。
1万2000人余りの富岡町の住民のうち、吉田さんの働く仮設住宅で約280人が暮らしている。彼らは自分たちの住居を持ち、ご近所付き合いもあったが、突然の原発事故により、この政府が建設した仮設住宅にやってきた。慣れ親しんだ環境を離れ、生活が単調になり始めた。吉田さんは、「富岡町の住民は何も悪いことをしていないのに、今やこのような苦しみに耐えなければならなくなり、苦しい思いをしている」と語った。
生活復興支援センターで、吉田さんとその他の職員はできるだけ多くの活動を催している。故郷を離れて2年が経過しようとしている人々に、仮設住宅の活動で息抜きしてもらうことが目的だ。
「私たちはいつか富岡町に、私たちの祖先が暮らしてきた場所に戻りたいと思っている。もう戻れなくなったことは誰もが知っているが、この希望を捨てきれないでいる」吉田さんは、富岡町の住民の多くがこのように考え、自分の生活を維持していることを知っている。政府から提供された仮設住宅は無料だが、広々としているとは言いがたく、何とか住める程度のレベルだ。東京電力による原発周辺の住民への賠償については、事故発生から間もなく2年が経とうとしているが、まだ具体的な方針が定まっていない。幸い、現在は毎月10万円の慰謝料が支払われている。吉田さんの仕事の中心は、定年退職者を仮設住宅に入居させることだ。彼らは年金を支給されており、生活費の心配はない。