日本のこれまでの行為をみると、選択の間に何ら「共通の価値観」の最低ラインがない。明治維新後、日本は脱亜入欧し、強引に白人の仲間入りしたが、盲目的に最も崇拝していた米国の真珠湾を日本は爆撃し、米国も日本本土を焼け野原にした。日本人は「共通の価値観」による連携は政治家らが作り出した偽りの命題であることはわかっている。利益のためなら日本は価値観に対する解読を毎日でも更新することができる。
国と国が交流する上で永久不変のテーマは平等と協力、相互尊重だ。いわゆる「共通の価値観」によって集団を作るのは時代遅れの冷戦思想で、その背景には利益に関わる動機がある。それはことの善悪がはっきりしないため、大抵安定性を欠いている。古今東西、昔も今もいわゆる「同盟」は数多くあるが、多くは当てにできない。文化的背景が同じ国や民族が仲良く付き合えるとは限らないが、異なる文化、異なる価値観の交流は共に成長・進歩する助けになる。
釣魚島情勢は日本が一方的に作ったにもかかわらず、日本は過去の教訓を反省することも、現在の過ちを認めることもせず頑強に抵抗し、賢いとはいえない「共通の価値観」というカードを出し、情勢打開どころか、国際社会から冷ややかな目で見られ、嘲笑されている。
このカードが使えないのは二の次で、より大きな損失は小ざかしく立ち回る日本を人々が再びはっきり見てとったことだ。この癖を変えなければ、無益なだけでなく害になる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年4月10日