慰安婦被害者が自らの経験を描いた絵を見る来館者。
毎週水曜日にソウルの日本大使館前で行なわれている慰安婦被害者のデモ活動を取材した際、ソウルに慰安婦被害者をテーマとする博物館があることを知り、早速取材に訪れた。博物館は灰色の建物で、外壁を覆う鮮やかな黄色の「蝶々」がことのほか目を引く。近づいてみると、そこには韓国語、中国語、日本語、英語など各国語で見学者の感想が書かれていた。重い鉄の門が重苦しい感覚を与える。
■正義はずっと訪れず
博物館の入場券の裏には拳を振り上げて抗議するおばあさんの図案があしらわれている。1991年8月14日、金学順さんというこの韓国の慰安婦被害者は、慰安婦の存在を否認する日本政府の言動を深く憎み、最初に立ち上がってスポットライトを浴びた。
博物館の地下1階で鉄の扉を押し開けると、告発する金学順さんの肖像が目に飛び込む。「私は自分が恥ずかしいとは思わない。ぬけぬけと歴史を否認するあの連中は少しも恥じ入らないのに、なぜ私たちが自分をさいなむ必要があるのか?」。壁には慰安所の昔の写真が多く展示され、隅は戦地の情景で、積み上げた石の上に慰安婦被害者の履いていた靴がいくつか置かれている。
「生き抜くことができたのは夢のようです。あんなに残酷な夢だったけれど」「一言でいいんです。私はただ心からの謝罪を聞きたいだけなんです」。2階へ通じる階段の壁の黄色いレンガには、慰安婦被害者の言葉が刻まれている。
博物館の2階には慰安婦の歴史の動かぬ証拠が陳列されている。日本軍の内部文書や日本兵の証言記録もあれば、慰安婦の証言や当時の物品もあり、いわゆる「慰安婦は自らの意思だった」「日本政府とは無関係」との謬論に無言で反論を加えている。まさにこの部分の展示のテーマのように、慰安婦は戦争の生んだ歪んだ制度だったのだ。
金学順さんに励まされて、立ち上がる被害者が増えていった。博物館の尹美香館長によると、最初に把握した韓国の元慰安婦の生存者234人は相次いで世を去り、健在なのは59人だけとなったが、彼女らの待ち望む正義はずっと訪れないままだ。