一石が大きな波紋を呼んだ。中国の東中国海防空識別圏設定を受けて、国際世論は議論一色となった。最も声高に反応したのが日本だ。日本は連日この問題を自らの主張に利用し、しつこく絡み続け、米国が反応したのを見ると、いよいよ興奮剤でも打たれたかのようになった。日本メディアはバイデン米副大統領の訪日時に日米両国がこの問題で共同声明を発表すると報じもした。一時はまるでバイデン副大統領の今回の東アジア訪問が、東中国海防空識別圏問題に対処するためのものであるかのようだった。(文:賈秀東・人民日報海外版特約論説員、中国国際問題研究所特別招聘研究員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
だが実際には、米側はバイデン副大統領の出発前からすでにこの問題でトーンダウンし始めたうえ、中国側の防空識別圏規則を遵守するよう米航空会社に「遠回しに」提案もした。続いてヘーゲル米国防長官が「防空識別圏自体は新しい概念や独自の概念ではない」と表明。バイデン副大統領は東アジア訪問中、米側の「原則的立場」を重ねて表明しただけだった。ホワイトハウス高官が述べたように、バイデン副大統領の訪中は東中国海防空識別圏問題で「申し入れ」を行うためのものではないのだ。
こうした米側の立場は日本側と明らかに隔たりがあり、バイデン副大統領の来訪に大きな期待を寄せていた日本の政府とメディアは大変失望し、落ち込んだ。こうした挫折感を日本が味わうのは、中米日三角関係の歴史において初めてではない。日本がしばしば中米関係がわかっていない、あるいは自らの狭くて頑なな視野のために現実が見えなくなっていることを示すものだ。
1970年代、中米が関係回復を決定した際、日本は当初何も知らされていなかった。1990年代、クリントン大統領は中国を9日間訪問したが、日本には立ち寄らなかった。今世紀に入ると、ブッシュ政権は日本を比較的重視したが、やはり対中関係がアジア太平洋政策の最重要課題だった。オバマ政権の「アジア太平洋リバランス戦略」は日本を信頼し、重んじる必要のある最重要同盟国としているが、視線は中国に向けられている。防空識別圏問題をめぐり、日本は米国との戦略的利益の一致性を過大評価していた。日本の求める共同声明について米側は考慮しなかったわけではないが、熟考を重ねた結果、最終的に同意しなかった。米国の対中政策決定メカニズムは慎重で理性的である点、そして戦略的思考において日本の上に立つようだ。