日本は敗戦後に再生した国である。戦後体制の制限による発育不全により、「経済大国、政治・軍事小国」という俗称を持つ日本は、「異常な国」を自称している。1980年代に中曽根内閣が戦後政治の総決算を出すと、日本は戦後体制からの脱却を試みる動きを見せた。これは日本が経済大国の地位に満足せず、敗戦国のレッテルを剥がし、政治・軍事大国の地位を再建しようとしていることを意味する。日本は変化の時期に入ったのだ。
安倍首相が2006年に初就任すると、戦後体制から脱却し変化するための実践が加速された。安倍首相はたった1年の任期中に、3つの重要な事を実現した。1つ目は憲法改正の前奏である、「教育憲法」と呼ばれていた教育基本法の改訂で、敗戦国の「自虐史観」をなくし、民族精神を復活させることを目的とした。2つ目は防衛庁の防衛省への格上げで、国政における軍事的な要素を拡大した。これは経済を重視し軍備を軽視する路線から外れることを意味した。3つ目は国民投票法の強行可決で、改憲の地ならしをした。
安倍首相は2012年に再任すると、米国の戦略的重心のアジア太平洋への移転、衆参両院で安定的な議席数を獲得した優勢を利用し、戦後体制の束縛から脱却するため「積極的な平和主義」という旗印を掲げた。改憲・強兵を加速し、正規軍を持ち海外の戦争に派兵できる「正常な国」になり、「政治・軍事大国」という目標の実現を急いだ。
改憲が短期間内に実現できないことから、安倍首相は改憲のハードルを避けて、憲法解釈見直しという手段により集団的自衛権の解禁、海外の戦争への派兵という目標を達成しようとした。安倍首相は私設諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置した。同懇談会は5月15日に、憲法解釈見直しによる集団的自衛権の解禁を提案する報告書を首相に提出した。同報告書は、戦後に集団的自衛権の行使を禁じてきた政府の憲法解釈を見直した。これまで日本政府は、集団的自衛権は日本国憲法9条が規定する、防衛の「必要最小限」という規制を上回ると解釈し、行使を禁じていた。しかしこの報告書は数十年間引き継がれてきた政府の憲法解釈を覆し、改憲のハードルを避けて軍事力の縛りを緩め、日本の軍事大国復活に向け法的な障害物を取り除き、地域の平和・安定に大きな禍根を残した。