表面が似通った日本と中国、本質はまったく異なる=中国人学者

表面が似通った日本と中国、本質はまったく異なる=中国人学者。

タグ: 日本 中国 文化的な価値観

発信時間: 2014-07-22 16:12:47 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

京都を訪れた中国人ならば、中国の古都に迷い込んだような錯覚に陥るだろう。建築物、街道、古跡、石碑、言語、文字、景色、歩行者の顔や服装のすべてに親しみを感じる。この感覚は、日本と中国の距離を縮める。しかし実際には、日本を少しでも深く理解すれば、日本と中国が似ているのは表面的な点だけであり、両国の差にこそ本質的な意義があることに気づくだろう。

筆者は1987年に訪日したが、一つの小さな出来事が深く印象に残っている。電車に乗った時に、近くでふらふらしている高齢者を目にした筆者はすぐに席を譲ろうとした。この高齢者は感謝しなかったばかりか、顔に怒りを浮かべ座ることを拒否した。私は当時あまり理解できなかったが、後で考えて理解することができた。これは日中両国の文化の本質的な差だったのだ。中国人は弱者に同情し、高齢者と児童に手を貸すことは中国人の義務・美徳とされている。日本人は強者を崇拝し、弱者を軽視する。高齢者に席を譲るということは相手を弱者としての地位に置くことであり、高齢者が喜ばなかったのも無理はない。これは些細な出来事だが、文化的な含意があり、中日両国の文化・価値観の大きな差を窺い知ることができる。

孫子の兵法は、中国人によって兵学の聖典とされている。しかし一部の日本の軍事思想家は、そのようには考えていない。例えば日本初の兵法書『闘戦経』は、「孫子十三篇、懼(おそ)れの字を免れざるなり」としている。つまり孫子の兵法の智謀と戦略が、強敵に対する恐れから来ているということだ。闘戦経はさらに、中国の兵法は兵を用いる正道ではなく謀略を重視しており、日本の兵学が主張する「正攻戦法」こそが兵を用いる法則だと思い上がった主張をしている。孫子の謀略は敵を恐れているのではなく、文化の特性によるものだ。好戦的で実力により敵に勝とうとする日本人とは異なり、中国人は好戦的ではなく、智謀により敵に勝つこと、戦わずして敵を従わせる、少ない代価で勝利を収めることを求める。これは両国の文化の差であるが、一部の日本人はこれを理解しないため、誤解と偏見が生じる。

日本人の文化的な価値観の本質は中国と異なっている。さらに明治維新後に西洋に学び脱亜入欧した経験により、日本と中国の差がより顕著になっている。彼らは強者の論理により、武力による問題解決を好む。中国侵略戦争において、日本軍は強力な火力による力攻めを得意とし、中央突破で戦闘の一挙解決を目指した。中国軍、特に中国共産党が率いた八路軍と新四軍は正反対で、実を避けて虚を撃ち、先に弱い所を攻め、迂回と包囲、側面からの襲撃戦術を得意とした。

中日両国の文化には、実際には共通点よりも異なる点の方が多く、表面的には似通っているが中身はまったく異なることが分かる。中国文化という大きな木は深い根を持ち、西側から受ける影響は少ない。日本文化という小さな木は根が浅く、西側から大きな影響を受ける。具体的に見ると、日本文化は中国・西洋文化の混合物である。中華文化がその表面で、西洋文化がその中身となっている。文化の本質的な差によって、中日両国は形は似ているが中身が異なる状態となっている。両国国民の同じ出来事に対する認識と理解が大きく異なり、かけ離れていることがあるのも、このためかもしれない。(筆者:林治波 人民日報甘粛分社社長、蘭州大学新聞・伝播学院院長)

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年7月22日

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