国家公文書局は8月31日、「偉大な勝利―中国が降伏文書を受け取る」の第17部「長衡区と江西区の投降受け入れ」を公式サイトで公開した。
第17部の説明によると、長沙衡陽区の投降受け入れは、第四方面軍の王燿武司令官の指揮の下に行われた。同区の投降側の代表は、中国侵略日本軍第20軍の坂西一良司令官が務めた。日本軍の投降部隊のうち第20軍、第64師団、第81独立旅団、第82独立旅団、第2独立騎兵団は長沙に集中していた。また第68師団は衡陽に集中していた。第116師団と第17独立旅団は岳陽に集中していた。日本軍の投降の処理は長沙で行われた。1945年9月15日、王燿武は長沙で坂西一良の投降を受け入れた。
江西区の降伏受け入れは、第九戦区の薛岳司令長官の下に行われた。同区の日本側の投降代表は中国侵略日本軍第六方面軍司令官兼第11軍長の笠原幸雄が務めた。日本軍の投降部隊のうち第11軍、第13師団、第58師団、第22独立旅団、第84独立旅団は九江に集中していた。また第7独立旅団は南昌に集中していた。日本軍の投降の処理は南昌で行われた。1945年9月14日、薛岳は南昌で笠原幸雄の投降を受け入れた。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年9月16日