国家公文書局は3日、「偉大な勝利—中国が降伏文書を受け取る」の第20部「平津区と山西区の投降受け入れ」を公式サイトで公開した。
第20部の説明によると、平津区の受け入れは、第十一戦区の孫連仲司令長官の指揮の下に行われ、北平(北京)、天津、保定、石家荘地区の投降が受け入れられた。同区の日本側の投降代表は、中国侵略日本軍華北地区派遣軍の根本博司令官が務めた。日本軍の投降部隊のうち、第118師団、第9独立旅団は天津に集中していた。また第3騎兵旅団、第2独立騎兵旅団、第8独立旅団、第3独立騎兵旅団は北平に集中していた。第7独立騎兵旅団は保定に集中していた。第1独立旅団、第2独立旅団は石家荘に集中していた。日本軍の投降の処理は北平で行われた。1945年10月10日、孫司令長官は北京の故宮太和殿で根本司令官の投降を受け入れた。
山西区の投降受け入れは、第二戦区の閻錫山司令長官の指揮の下に行われ、山西省の投降が受け入れられた。同区の日本側の投降代表は、中国侵略日本軍第1軍の澄田賚四郎司令官が務めた。日本軍の投降部隊のうち第1軍、第114師団、第3独立旅団、第10独立旅団、第14独立旅団、第5独立騎兵旅団は太原に集中していた。日本軍の投降の処理は太原で行われた。1945年9月3日、閻司令長官は太原で日本軍の投降を受け入れた。(編集KS)
「人民網日本語版」2014年9月17日