第二次世界大戦には、61の国と地域、20億人以上の人口が巻き込まれた。作戦区域の面積は、2200万平方キロメートルに上る。日本は戦前に朝鮮と中国台湾を併呑し、第二次世界大戦中には中国、フィリピン、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジア、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイ、パプアニューギニアなどの各国、英国の植民地だった香港などに侵入した。しかし猫の額ほどの広さしかないマカオだけには、手を下せなかった。これはなぜだろうか?
劉成禺の『世載堂雑憶』によると、日本が第二次世界大戦中にマカオに手を下せなかった主な原因は、ブラジルからの脅迫だ。
清朝末期と中華民国の時代の重要人物である劉成禺は、多くの歴史的事件を体験している。劉成禺は1903年に興中会に入り、孫文に従い革命運動に従事し、米国で『大同日報』を発行し、革命思想を宣伝した。
劉成禺は交友範囲が広く、当時の上流階級のほぼすべての人物と交流があった。そのため劉成禺の著書は幅広い内容を含み、歴史資料としての高い価値を持つ。劉成禺は有名な詩人でもある。
劉成禺の代表作は『洪憲紀事詩』、『世載堂詩集』、『太平天国戦史』、『世載堂雑憶』など。そのうち『世載堂雑憶』は約20万字に達し、1940年に上海の『新聞報』の特別欄に掲載された短文を収録しており、当時広く読まれていた。
本書は清朝末期と中華民国の時代の人物に関する事柄、政治制度、社会の変革などを幅広く記している。劉成禺は、日本が第二次世界大戦中になぜマカオだけを侵略しようとしなかったかについて、詳細に説明している。