古代ブラジルは、インディアンの居住地だった。ポルトガルの航海士、ペドロ・カブラルは1500年4月22日にブラジルに上陸した。彼はこの土地を、「テラ・ダ・ヴェラ・クルス(真実の十字架の地)」と命名し、ポルトガル領にすることを宣言した。ポルトガルの植民者の略奪が、染料を取るパウ・ブラジルの伐採から始まったことから、ブラジルが国名になった。
ポルトガルは1730年代に遠征隊を派遣し、ブラジルを植民地支配した。ブラジルは面積が広いが人口が少なく、開拓者が少なかった。ポルトガル人は清朝に対して、移民を歓迎する意向を示し、中国の移民と共にこの南アメリカで最大の面積を持つ国を開発しようとした。
ポルトガルの植民者は後遺症を残さないため、次の条件を提示した。(1)中国からブラジルに移民する者は、ブラジル国籍を取得する。(2)中国からブラジルに移民する者は、家族同伴でなければならない。独身男性は不可。(3)中国からブラジルに移民するものは、農業に従事しなければならない。無職は不可。
中国人は住み慣れた土地を好む。この厳しい条件は彼らの根、祖国とのつながりを断ち切ることに他ならず、誰も行こうとしなかった。清朝の為政者はこれらの協力条件を不服とし、相手にしなかった。
中国が消極的なのを見て、ポルトガルの植民者は、面積は狭いが人口の多い日本と相談せざるを得なかった。日本人は大喜びし、これに即座に応じ、ブラジルに労働力を続々と送り出した。第二次世界大戦が勃発するまで、すでに300万人以上の日本人がブラジルに移住していた。