後二道溝村の村民の初永林さん、教師の尤徳化さんはこの恐慌のさなか、政府に報告した。ハルビン市政府の部門は専門家を派遣し、ペストであると判断した。多くの衛生職員が駆けつけ、村民にペストの予防接種を行ったことで、蔓延を制御することができた。靖さんはこうして九死に一生を得、6人の家族も生き残った。
しかしながら、靖一家が悲しみや憎しみに打ち負かされることはなかった。九死に一生を得た一家は今や子供や孫が大勢おり、1人の軍人を輩出した。靖さんは中学校を卒業後、ハルビン飛機製造公司に入社し、労働者から幹部に昇進した。しかし一家の心の中には常に国と家族の恨みが残り、片時も忘れたことがなかった。
定年退職後の靖さんは1994年に当時の資料をまとめた。1994年と2002年には日本の「731部隊展全国実行委員会」から招待され、高知県、栃木県、神奈川県などの10数県・市で演説を行った。靖さんは国内で、侵華日軍第七三一細菌部隊罪証陳列館のボランティアの解説員になり、あの歴史を小中高の生徒に説明している。
正義の為に12年間奔走した靖さんは2006年に亡くなった。靖さんは今際の際に、「人々が教育を受け続けられるならば、私は語り続ける」と語り、子供たちにバトンを渡した。
靖淑霞(58)さんは靖さんの長女で、定年退職後に侵華日軍第七三一細菌部隊罪証陳列館の職員になり、731部隊の当時の罪を明らかにするため努力を続けている。「歴史を銘記し、継承し、後世の人々に理解させる。これは父の最大の願いだ」
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年12月9日