幸運にして生き残った夏さんたちは、家に残っていた焼き米やおこげで生き延びた。14日後になりようやく、慈善機構の「老人堂」とおじに引き取られた。
7人の家族の名前は、記念館の「哭壁」に刻まれている。清明節と12月13日を迎えると、夏さんは家族に伴われここで祈りを捧げる。
夏さんは、「孤児になった私は、この冷たい哭壁から家族の存在を感じるしかない」と語った。
1949年10月に新中国が誕生すると、夏さんの生活がようやく改善され始めた。夏さんは1954年に張鴻章さんと結婚し、3児を生んだ。夫に先立たれると、夏さんは女手ひとつで子供を育て、今や4人の孫に恵まれている。夏さんは、「私を加えて、一家17人だ」と述べた。
この大家族にとって、夏さんは並々ならぬおばあさんだ。
夏さんは1994年8月、戦後初めて日本に渡り、南京大虐殺の暴行を訴えた生存者になった。夏さんは2002年に生存者として、日本で開かれた証言者の集会に出席した。夏さんは2006年に被告人として日本の法廷に立った。夏さんを嘘の証人と中傷した日本の右翼分子は欠席し、訴えを取り下げた。夏さんはその場で原告を名誉毀損で逆に訴え、最終的に勝訴した。