重慶大爆撃、歴史の真相を30年追い続けた研究者

重慶大爆撃、歴史の真相を30年追い続けた研究者。 何年何月何日の記事と詳細に分類されたパソコンのフォルダ、部屋中の資料と書籍。重慶市中国抗戦大後方研究協同創新センター主任、博士課程指導員の周勇氏は、抗戦の歴史を研究して30年になる…

タグ: 重慶大爆撃 歴史 研究者

発信時間: 2014-12-10 10:15:37 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

何年何月何日の記事と詳細に分類されたパソコンのフォルダ、部屋中の資料と書籍。重慶市中国抗戦大後方研究協同創新センター主任、博士課程指導員の周勇氏は、抗戦の歴史を研究して30年になる。この白髪交じりの教授は新たな発見を目にするたびに、当時の若き学者のように興奮する。「歴史の研究は過去を忘れないため、過去を忘れないのはよりよい未来のためだ」

1985年は抗戦勝利40周年であり、中国の抗戦史研究の転換点でもある。時の重慶市委員会党校史地理教研室副主任の周氏が率いる教研室(研究室)は、抗戦史の研究を開始し、国民参政会と重慶大爆撃を研究の重点方向とし、10数篇の調査報告書で積極的な反響を得た。

日本軍の爆撃機は1938年2月から1944年12月に渡り重慶市を爆撃し、3万人以上の直接的な死傷者、6600人以上の間接的な死傷者を出した。財産の損失も深刻で、一般人の居住区、学校、病院、外国大使館・領事館などが爆撃を受けた。

周氏は、「中国の大都市のほぼすべてが陥落した。重慶市という不屈の都市と同じく不屈の市民がここを堅守し、ロンドンやモスクワと肩を並べる第二次世界大戦の英雄の都市になった。ルーズベルト大統領は電話の中で、重慶市民に敬意を表した。あれはなんと悲壮で壮烈だったことか。ところがこの歴史を知る人は少なく、もっと多くの人に真相を知らせるべきだと思う」と述べた。

周氏は1980年代中頃より、日本の学界と連絡を取るようになり、日本の学生に重慶大爆撃について語った。多くの学生は爆撃後の惨状を知ると、大声をあげて泣いた。周氏はこれにより広島大学教授の小林文男氏、茨城大学教授の石島紀子氏、慶応義塾大学教員の三田成雄氏など、歴史の真相を研究する日本人学者と知り合った。

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