官と民の協力体制作り
有明清掃工場はまさに日本企業の環境保護意識の投影である。1950~60年代の日本は高度成長を図るために石油を大量に消費した。それによって硫黄酸化物の汚染問題が深刻化し、公害問題は大きな社会問題となった。
このため政府は1962年、「ばい煙の排出の規制等に関する法律(ばい煙規制法)」を制定し、環境汚染対策を開始した。しかし単に法律を制定しただけでは、大気汚染の状況は変わらず、60年代の後半においても、日本のほとんどの大都市では空気の質が基準に届かなかった。
環境省のある関係者によると、政府はこうした状況を打開するため、法律を強化するとともに、企業との関係作りにも入れ始めたという。「日本の大気汚染対策は技術と制度の両方を重視し、さらに政府と企業が力をあわせることで成功した」と強調した。
日本の企業をどのようにして政府の定めた環境排出基準の協力させたかについては「環境保護政策自体を政府とを企業が共同で進めたことが大きい。民間と政府が協力することはとても重要である」と語った。
「1950~60年代、環境汚染は住民に大きな健康被害を与えていた。それによって政府と企業は持続可能な発展と環境保護の重要性を強く認識した。政府の企業は互いに『敵ではなく協力者』という認識を持っていたものの、細部には意見の対立もあった。しかし大きな方向性においては、大気汚染対策には大きなコストがかかるものの、一旦公害が発生した場合は、それ以上の損失になるという見方では一致していた。最も重要なのは企業の環境意識である」と語った。
「話し合いと強制」
企業の環境意識を高めるには「アメとムチ」や「話し合いと強制」が必要である。日本で新たな環境政策が打ち出されるときには、政府・企業・業界団体が話し合いを行う。政府は各種の科学的データを収集し、各界の有識者や業界の代表者を集めて審議会を開催。会議では最も理想的な案が何であるかが議論され、その内容が公開される。
「こうした場において、業界団体が政府の対策に反対を示した場合に最も大切なことは、科学的データを整理し、企業や業界団体と共有することである。マスコミの力を利用する方法もある。日本ではマスコミの論調が政府の政策に大きな影響を与える。マスコミが理解を示せば、政府と企業の話し合いはスムーズに進む」と先の関係者は話す。
日本の企業に環境基準をいかに受け入れさせるかについては「日本は2004年から揮発性有機化合物の排出に対する規制を始めた。事前に政府が関係業界団体と行った協議で、業界側から厳格な排出規制は望まない旨の意見が提出されたため、30%の削減目標という妥協策がとられた。また削減方法については、企業側に任され、業界にガイドラインを制定するように命じた。そして企業が目標を達成できなれば政府の強制措置により経営上の大きな影響を受けるようにした。また目標を達成しても褒章を与えるようなこともしなかった。褒章を受けることを目標達成の動機にさせないためであった。」
主体的な情報公開
中国では現在、「環境保護法」が制定され、「大気汚染防止法」の改定草案が審議されている。立法以外にも一連の行政措置がとられている。
こうした動きに対して日本の環境省は「日本の政府と企業は、中国の大気汚染対策に対して大変注目している。日本は排出削減とともに、中国とも協力関係を続けていく。大気汚染の観測システムなどの技術だけでなく、汚染情報公開などの制度についても中国側に提供していく」と考え方を示している。
「日本では、企業は自ら環境保護活動を実施するだけでなく、排出物に関する情報を外部に公開しなければならない。企業が規制に違反すれば、企業名が政府によって公表される」という。
「有明清掃工場」の展示室には、排出関連のデータが公開されている。二階堂工場長によれば「排出データは1時間ごとに更新される。プリントアウトもされるので、住民や環境団体の人はいつでも見ることができる。またインターネットでも公開しており、工場側も来訪者の質問にいつでも対応している。工場のすぐ外には電子モニターを設置し、排出データを表示している。設置した当時は毎日住民が来てデータを記録していたが、最近はその姿をほとんど見ない。データの真実性について疑問を持たなくなったためと思われる。職員がデータを変更できないしくみになっているし、第三者機関の検査や監督を受けているためである」と話した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年2月14日