林国本
最近、若い人たちといろいろな会合で交流機会があったが、その時よく耳にするのは、子供たちに幼稚園の段階からバイリンガルの教育を受けさせていることである。
私は自分が一応バイリンガルに近い存在といわれているので、ジャーナリズムの世界でもかなりスムーズに過ごすことができた。これも適応形のひとつだと思っているが、しかし、両親の理想とするものを、幼い子供に押し付け、2歳、3歳からこの鋳型にはめ込むのはどうかとも思っている。私の知人で子供に2、3歳の頃からピアノのけいこをさせている人がいるが、子供の方はそれを非常に苦痛に思い、毎日、いやいやながら両親の顔色をうかがってピアノの勉強を続けているが、結局ピアノはものにならず、今はコンピューターのソフトウェア関係の仕事に打ち込んでいる人がいる。
私が言いたいのは、中国では一般市民の間で「人生のスタートラインで敗北者となるな」という言葉がはやっているようだが、世間の親たちは自分たちの果たせなかった夢を子供に実現してもらおうとしているように思える。