林国本
国内外で注目を浴びた上海万博も、あと半月とちょっとで閉幕することになった。
今から振り返ってみると、2008年、2010年の北京オリンピックと上海万博は、改革、開放で成果をとげた世界最大の発展途上国中国にとっては、次のステップへ向かうための「通過儀礼」ともいえるものであった。大国としての中国の総合的企画力、総合的プロデュース力、総合的マネジメント力を試される場でもあった。
私は一介の老ジャーナリストとして、国内のメディアばかりでなく、国外のメディアの辛口の論評に注意を払ってきたが、そろそろ閉幕を迎える時期になった今日、この数ヵ月間を一応しめくくってみることにした。
まず、自画自賛はできるだけ避けて採点するならば、次のことが言えるのではないか。
つまり、初体験としては、百点満点とはいえなくても、「優良」という点は付けられると思う。
上海の人たちは、万博会場の建設という一大プロジェクトを閉幕後の上海市のさらなる飛躍にちゃんと結びつけたことである。他の場所に移した江南造船廠ひとつを取り上げても、もともと一万トンクラスの船を建造することしかできなかったものを、移転によって数万トンクラスの船がつくれるものへと変身させたことなど、マイナスと見えることをプラスに変えた例がいくつか見られる。つまり、万博というビッグプロジェクトによって、上海の将来像のラフスケッチを描き上げたのである。プランナーための構想力には感心している。とくに、世界経済がいろいろな不確実性を抱える中で、中国は一応リーマン・ショックの影から脱出することに成功し、発展方式の転換に本腰を入れて取り組むようになっている。一時、国外のメディアの一部は、ポスト・オリンピックにおける景気の腰折れを取り沙汰してきたが、中国はその間に四川大地震、玉樹震災という困難を乗り越え、とくに四川大地震の復興、再建事業を一年くり上げて達成し、この際、特筆しなければならないのは、リーマン・ショックで大打撃をこうむった広東省の東莞市が独力で四川省汶川の震災地の復興事業を一年くり上げて達成したことである。要するに上海万博は、国が一部地域でまだ困難を抱えていた時に、成功裏にそのスケジュールをこなしてきたのだ。こういうことからも、中国の底力を見て取ることができるのではないだろうか。