さらには、弁護士の仕事も大人気。これは中国が法治社会に入ったことを示すものであろう。対外開放によって、WTOへの提訴とか、知的財産権をめぐる訴訟とかがそのニーズのもとといえよう。しかし、これは資格を取得するまでの長い道のりがあり、狭き門であることはたしかである。
そのほかに、ヨガ・スタジオのインストラクターとか、エステティックサロンのフェイシャリストとか、バーテンダーなども一部若者の間では人気があるが、見た目はカッコイイが、収入そのものはたいしたものではないらしい。
さいきん、私の子供の友人が、自分の子供はプロのゴルファーにしたい、という話をしていたので、古い考え方の持ち主である私はまた驚きの念を禁じえなかった。実をいうと、プロのビーチバレーの選手、プロのテニス選手などはもうとっくに存在しているのだから、別に驚くこともないのだが、われわれのような古い世代の人間は、すぐ賞金だけで一生食べていけるのか、ゴルフツアーでいつも賞金が取れるとも限らないのだぞ、と考えてしまうが、今の子供たちはそんなことなど深刻に考えていないらしい。
今の子供たちは、両親のほとんどが年金生活者、俸給生活者なので、両親の面倒を見る必要もないから、自分の人生だけを考えていればよいようだが、私のような古い人間にとっては、どうも危ぶなっかしいと思うのだ。
中国もどんどん変貌をとげ、人気職業のランク付けも変わってきているが、私はフリーターとか、ニートとかいう生き方には、どうも同感しかねる。もしかしたら、これは私の古さをさらけだしているのかもしれない。
今の若者はあくまで自分の感性にぴったりの職業につきたい、という考え方の人が多いようだ。こうした世の中の動き、世の移り変わりを見ていると、職業観の変化を痛感するのである。
私が携わってきた国際ジャーナリズムの分野の仕事も、計画経済期の頃は花形のひとつだったか、対外開放で競合する相手が増えたせいもあって、昔の光、今いずこの感がある。しかし、それでも「花形」の一つであることには変わりはない。とはいうものの、市場原理導入のもとでは、たえず自己革新しなければ、光源が薄れていくことも否めない。そういうことで、今の若者にはさらなるチャレンジを願うものである。切迫感があることはいいことだと思う。切迫感は前進と自己革新のモチベーションのもとといえなくもないからだ。私は人より繊細な神経の持ち主なのか、今の若者は私たちの若い頃より熾烈なサバイバル・ゲームにさらされているように思い、同情の気持ちをこめてこの人たちを見ていることも確かだ。
「チャイナネット」 2009年12月3日