現実への自慢と比べ、歴史に対する吹聴はもっと恐ろしく警戒すべきものだ。一部の「自慢ぶり」は耳障りになる。「アジア各国は例の戦争があってこそ独立し、あるいは独立したチャンスをつかんだ」、「地元住民は日本軍隊の進入を歓迎した。日本軍は彼らを欧米の植民地統治から開放した」、「多くの老人は日本統治時代の教育を懐かしく思っている」。歴史はここまで理非曲直を歪曲されているが、日本政治屋のこのような強盗論理に従えば、被害を受けた欧州民衆は残虐なナチスにきちんと感謝するべきではないか。
これらの「自慢ボイス」より更に心を痛めるのは、安倍日本首相と多くの右翼者が近年、第二次世界大戦で日本が犯した歴史的罪を否認し美化しようとし、若者に玉にきず的な「栄光なる歴史」を作り上げようと企てることだ。これは、数回にわたる安倍氏による歴史教科書の書きかえ行為から垣間見ることができる。
一国の歴史は決して全てが輝かしいものや成果ではない、中には悲惨な教訓を含み、自己満足によって歴史の事実を歪曲してはならぬということは、理性のある人なら誰もが分かっている。歴史を正視できぬ政府は、覆車の戒めどころか、国や国民を誤った道に導き、歴史の徹を踏む可能性さえ起こり得る。
日本的自画自賛は滑稽なうぬぼれや見ざる書かざる現実遊離だけの問題ではない。世界と隣国たちが日本を受入れる機会を妨げ、胸襟を開き外界を包容し本国を発展するチャンスを拒むことになる。真に開放で包容なる民族は、諌めを聞き入れ他人の意見に耳を貸す民族だ。そうしないと、真に自信に満ち溢れ強い民族にはなれない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年4月10日