日本に存在する禹王遺跡
禹王は日本では治水神とみなされるのが一般的である。王敏氏は次のように述べた。「日本における禹文化は日本人による移植と選択があり、日本の風土と生活に合うように変容されながら形成されてきた。日中の混成文化的性格をもちつつ、日本的信仰対象の神に昇華したのであろう。禹王信仰として日本文化という土壌に花を咲かせている」。
福沢神社
禹王遺跡の建立と存続の条件について、「足柄の歴史再発見グラブ」顧問、「治水神・禹王研究会」会長の大脇良夫氏は次のように語った。「第一、水害多発地帯で防災祈願や収穫豊穣祈願が盛んだった土地柄。第二、禹王(文命)を熟知する儒教学者や土木家の関与。第三、建立された禹王遺跡の価値を認め継承して行く地域(文化)の支持。以上の3条件が揃わないと存続しない」。
現時点の推計で、日本に存在する禹王遺跡は92カ所+調査中の10箇所となっている。そのうち、年代別から見れば、江戸期以前が52%、明治期18%、大正10%、昭和+平成で計20%。地域別から見れば、利根川、酒匂川、木曽3川、淀川水系などの大河流域に多いが、北海道から沖縄まで、また太平洋側、日本海側に限らず列島むらなく分布している。
酒匂川と文命堤
大脇良夫氏は、「92カ所中の30カ所は日清戦争後、日中国交回復までの間の建立である。国と国が緊張、敵対関係にある中においても、禹王(文命)は日本の各地に建立され、崇め続けられた。『中国の治水神』は、『日本の治水神』として定着し、『国籍や民族を超えた存在』として慕われていたと考えられた」と強調した。