第二次大戦に対する「歴史修正的」な認識には、各自の「功利的」な解釈を伴う。この解釈は、第二次大戦勝利の真の深い意義を損ねるばかりであり、かつ第二次大戦の解釈が国際的な衝突のツールになるという、最も危険な結果を招くことになる。
この修正主義的な認識は、記念そのものの意義から外れている。
第二次大戦勝利70周年の記念は、正確な歴史観を守る行いだ。国連憲章は「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う」と約束しており、平和な世の中の貴さを訴えている。
第二次大戦の功績と過失および是非は、すでに定義付けされている。しかし今日も世界で曖昧な言葉を用い、侵略者がアジア諸国および諸国民に対して犯した大罪の印象を薄め、侵略戦争の責任を回避し、アジアの被害国・被害者に対する公式な謝罪を拒もうとする者がいる。
第二次大戦の罪に対する謝罪を求められるほど、日本政府は歴史修正を急いでいる。一部の国は潜在的な敵国をけん制するという目的から、これを一時的に放任している。
一部の専門家は、今年の5−9月の記念活動後、国際政治における対立の基盤がさらに固められると予想している。
この第二次大戦に対する修正主義的な認識を捨てなければ、各国が団結して悪を取り除く時代が二度と戻ってこなくなるだろう。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年5月11日