中国・米国・英国の3カ国が70年前に発表したポツダム宣言は日本軍国主義の終焉(しゅうえん)を告げる鐘となった。世界各地では今年、反ファシズム戦争勝利70周年の記念行事が行われている。だが日本の安倍晋三首相は、日本の侵略戦争に対するポツダム宣言の評価をはっきりと受け入れることを拒否している。環球時報が伝えた。(文:黄大慧。中国人民大学国際関系学院教授、東亜研究センター主任)
近日行われた国会の党首討論で、日本共産党の志位和夫委員長は、日本の発動した戦争にポツダム宣言は「間違った戦争」という認識を示しているとし、これを認めるかを安部首相にただした。だが安倍首相はこれに直接答えることを拒否し、「つまびらかに読んでいない」ので「論評することは差し控えたい」とだけ答えた。「ポツダム宣言の認識を認めるのか認めないのか」と志位委員長がさらに迫ると、安倍首相は再び回答を避け、ポツダム宣言を受諾することは日本が戦争を終結させる道だったとだけ答えた。
1945年7月26日に発表されたポツダム宣言は、ファシズムドイツがすでに投降し、ファシズム日本が太平洋の戦場で死にものぐるいの抵抗を繰り広げる中、反ファシズム同盟国が日本に投降を促すために発した宣言である。日本が無条件降伏を受け入れ、主権の範囲を本州と北海道、九州、四国及び同盟国の決定する諸小島に限り、完全に武装を解除し、戦争犯罪人を処罰し、軍国主義勢力を永久に除去することを求めている。同年8月8日、対日作戦に踏み切ったソ連も同宣言に署名した。カイロ宣言からポツダム宣言までの戦時の反ファシズム同盟国が達成した関連国際協定は日本問題の戦後を処理する基本的な原則・政策となった。
日本は同年8月15日、ポツダム宣言を受け入れ、降伏を宣言した。ポツダム宣言は、戦後国際秩序を構成する重要な基本文書の一つとなり、戦後日本が平和的発展の道を歩むのに重要な役割を果たした。志位委員長の言う通り、「ポツダム宣言は戦後民主主義の原点中の原点」となった。米国は当時、私益のために日本を単独で占領し、ドイツでのような主要連合国による分割占領は行わなかった。だが米国の日本に対する改造は基本的に、ポツダム宣言などの戦時の反ファシズム同盟国が達成した協定に沿ったものだった。米国が主導した日本の戦後改革の重要な成果となった日本国憲法は戦後70年にわたり、日本に長期的な平和と急速な発展をもたらした。それが可能になったのはこの「平和憲法」が、ポツダム宣言などの戦時の国際協定の原則と精神を貫徹したものだったためである。1972年の中日国交回復で発表された「中日共同声明」でも、日本政府はポツダム宣言の立場を堅持すると明確に規定している。