森田氏は、中国が抗戦勝利70周年を記念する一連の活動を実施することについて、これには原因があると指摘した。森田氏は、「日本は侵略や植民地化というひどいことまでやった、これは認めなければならないことだ。村山談話や河野談話は正しく、守らなければならない」と強調した。
森田氏は、「日本人は日本を再び戦争に向かわせる可能性のある、当局のやり方に反対している。戦争がもたらした悲惨な経験により、私も同じ反戦の主張を持っている」と述べた。
終戦から間もない1946年3月、森田氏の母は長く待たされた結果、徴兵された長男が戦場で病死したという情報を聞き、精神が崩壊した。まだ中学生だった森田氏は、家計を支えざるを得なくなった。子を失った母の痛みにより、森田氏は母が戦争で子を失うようなことを、二度と許してはならないと誓った。
森田氏は中学生だったが、母が打ちのめされ、兄が戦死したという経験により、同じ経験を持つ家庭の状況の調査を開始した。しかしすべての人が口を閉ざし、調査を継続できなかった。森田氏は戦争による痛みがどれほど深刻であるかを実感した。
日本国内では現在、戦争を経験した80・90代の高齢者が、子孫に戦争の残酷さを伝えている。彼らは日本が再び戦争に向かうことを懸念しており、悲惨な戦争の記憶を次の世代に残し、戦争の残酷さを理解させるべきだと感じている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年6月30日