ルーズベルトは1945年の終戦前に議会で、中国人が7年以上に渡り日本の野蛮な侵攻に耐え切り、アジア大陸の広大な地域で多くの敵軍を牽制したことを米国は忘れないと述べた。3カ国の指導者のうち、ルーズベルトの中国の戦場に対する評価が最も多く、最も高く評価していたと思われる。チャーチルは、日本人と交戦した軍隊のうち、中国軍が最も成功したと言えると述べた。
李氏は事実と数字によって説明を補足した。
1941年の太平洋戦争勃発前、中国の戦場は日本のファシズムに抗う唯一の戦場だった。日本陸軍の総兵力の80%(最高で94%)を引き止め、反撃した。1941年に太平洋戦争が勃発してから1943年の冬に至るまで、日本が中国に駐留していた陸軍は全体の50%以上(最高で69%)を占めていた。世界反ファシズム戦争は1941年末に最も苦しい時を迎えていた。欧州の戦場も東洋の戦場も最も苦しい時を迎えていたが、日本はこの時期に第三次長沙作戦を発動した。
この戦役において、中国軍は勇敢に抵抗し、長沙に侵攻した日本軍全軍を壊滅させた。死亡者は5万5000人。外国は当時、これをどのように評価していただろうか?ロンドン・タイムズは、12月7日以降で連合軍の決定的な勝利と言えるのは長沙の大勝のみだと報じた。デイリー・テレグラフは、極東が黒雲に覆われる中、長沙の上空のみが晴れ渡り、美しい雲が見えたと報じた。当時はこのような評価だった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年7月15日