第2に、七七事変(盧溝橋事件)から太平洋戦争の勃発まで、中国の戦場は東方反ファシズム戦争の唯一の戦場だった。七七事変は日本の対中全面侵略戦争の開始を意味し、中国による全国的な抗日戦争の開始でもあり、第2次世界大戦の起点であり、かつその後4年半の長きにわたり、中国は東方反ファシズム戦争の唯一の戦場だった。
中国は当時自らの故郷を守るために戦っていたが、事実上他の国々の安全を守るために戦っていたのでもある。抗日戦争の堅持は、日本軍の勢力を極めて消耗させ、日本を北進計画の断念に追い込んだうえ、南進計画の実行を牽制し、遅延させる役割も果たした。中国の持続的抗日戦争はソ連、米国、英国などの反ファシズム国家に貴重な戦略準備の時間を与えた。
第3に、太平洋戦争勃発後、中国の戦場は世界反ファシズム戦争の東方の主戦場だった。中国の戦場が日本軍の主力を牽制したために、日本軍は太平洋の戦場にさらに多くの兵力を向けることができなかった。これは太平洋方面での連合軍の作戦を力強く支えた。
中国の抗日戦争は極めて困難だったが、世界反ファシズム戦争の大局に立ち、中国は精鋭部隊を国外での作戦に派遣した。ビルマ北部反攻戦は連合軍が大陸地域で初めて成功した反攻戦だ。
第4に、中国は積極的に国際問題に関与し、戦後秩序の設計と戦後国際組織の創設に関わった。
中国は米英ソなど26カ国と連合国共同宣言に署名した。連合国とモスクワ宣言、カイロ宣言、ポツダム宣言に署名し、戦時問題と戦後秩序について取り決めた。国連体制の設計、国連憲章の制定に関わったうえ、弱小民族の平等な権利を守るために独特な貢献をした。戦犯裁判、敗戦国に対する占領改造など戦後処罰措置の設計に関わった。
このうち国連憲章の民族自治、民族独立に関する内容などは、国際秩序の設計に対する中国の独特の貢献だ。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年7月16日