産経新聞は19日の一面に、「沖縄の孔子廟と政教分離」を見出しとする記事を掲載した。記事は沖縄県知事と市長が現地の儒教活動に土地の支援を提供し、孔子を祀る儀式に出席したことで、憲法の政教分離の原則に著しく背いているという印象を与えたと批判した。沖縄県の翁長雄志知事を被告とする裁判が、現在も進められている。日本の情報に詳しいアナリストは、環球時報に対して、「日本の右翼メディアが沖縄の孔子廟を取り上げ、これを現地の『中国化』と攻撃し、司法の裁判に影響を及ぼそうとしているが、これはむしろ彼らの無知を露呈している」と指摘した。
沖縄県・那覇市の市民である金城氏は昨年5月、那覇地方裁判所に訴えを起こした。時の那覇市長の翁長氏が、松山公園の一部を久米至聖廟の建設に無償で提供し儒教活動を支持したが、これは憲法の規定する政教分離の原則に違反するというのだ。金城氏は現地政府に対して、設置の許可を取り下げ、使われた費用を取り戻すよう求め、久米崇聖会と翁長氏に対しては約577万円の経費を返還するよう求めた。久米崇聖会は、孔子廟は歴史文化施設であり、宗教施設ではないと反論した。
これは単なる訴訟案件であるが、「孔子」、「中華文化」などのキーワードがあるため、日本の右翼メディアに注目された。メディアは以前、孔子廟が那覇市の公園内に建設され、現地の「中華街」になったと報じていた。
沖縄の孔子廟は「歴史文化施設」と「宗教施設」のどちらなのだろうか?沖縄県の歴史を少しでも理解していれば、すぐに答えを導き出せるはずだ。琉球王朝時代、沖縄は儒教文化から深い影響を受けた。1676年に久米村(現在の那覇市久米)で、「久米孔子廟」が建設された。廟の東側には「明倫堂」と呼ばれる学校があり、王府で初めて設立された教育機関だった。毎年孔子の誕生日になると、現地で盛大な記念式典が開かれる。現地の重要な文化習慣として、戦後の歴代知事・市長が市民を代表し、この活動に出席している。
長崎孔子廟の調査によると、日本には14の孔子廟が現存しており、さまざまな名称を持つ。中には「学校」もしくは「館」という名称を持ち、日本の孔子廟の「廟+学」の特徴を示している。ほぼすべての孔子廟に、中国の建築物の影響や痕跡が認められるが、日本の建築様式も取り込まれている。服装には明朝の儒服、日本の神道の衣装があり、孔子廟が日本の習慣に従っていることが分かる。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年7月20日