第二に、日本人と現地社会との交流方式はより柔軟で、実務的なものである。高層路線に慣れた中国の国有企業と比べると、日本企業は企業外交の面での経験が充実しており、現地社会の好感をより得やすい。中国が巨額を投じて国道建設を支援している時に、日本人はより少ない額で田舎の道を建設する。中国企業が乾燥地域に苦心して井戸を掘っている時に、日本企業は井戸を掘った家庭の女性に長持ちするバケツを贈る。日本側の多くの行動は、出費は少ないにもかかわらず、生活により密着し、効果がより高い。しばしば指摘されるように、中国の企業は小学校の建設を支援しても、その後のことは構わない。これらの小学校は地元の有力者に占拠され、子どもたちはやはりみずぼらしい建物に詰め込まれて授業を受けている。日本企業は小学校を建設するだけでなく、NGOと連携し、教師を派遣して授業を行う。その結果、庶民は、中国人が援助していることは知っていても、日本人に好感を持つようになる。
第三に、日本には国家イメージ形成のための独特の手管がある。中国人は、多くの国を中国や韓国と同様の日本の侵略の被害者とみなしてきたが、重要な歴史的要素を無視してきた。実際には、大多数の東南アジアの国は、日本侵略以前も独立した国家ではなく、西洋の国の殖民地だったということだ。日本は東南アジアへの侵入後、これらの国に名義上の独立した地位を与え、現地の多くのエリートを惑わせ、引きつけた。これらのエリートは基本的に現在に至るまで東南アジアの一部の地区の政治的な権力を握り続けている。日本は1980年代以降、経済・社会支援などの手段を通じて現地のエリートとの社会的な関係をひそかに再建し、一部の国では自らの国家イメージの回復に相当程度成功している。
中国と日本とのアジアでの力比べは中国の台頭とともに激化している。超大国である中国の日本に対する戦略的な優位性は時間の経過とともに明らかになりつつあり、日本の戦術面でのさらなる反発を生んでいる。長期的に見れば、大局の流れは手管や計算によって阻むことのできるものではない。だが競争対手の長所を見ることは、自身を高めるために必要な態度である。中国社会は、戦略上の日本に対する軽視を、戦術上の日本に対する重視へと移る時機を迎えている。(国際関係学院副教授、中国・グローバル化シンクタンク研究員 儲殷)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年8月6日
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