日本は「学術旅行隊」の名義により、公然と文化財を盗んだ。
陳教授は近年、中国の文化財の返還要求に力を尽くしている。陳教授のノートには、コピーされた古い写真の資料がある。写真を見ると、日本の名門校・慶応義塾大学の「学術旅行隊」が、江蘇省・浙江省の一帯で古い文化遺跡の発掘を行ったことが分かる。名目上は学術視察だが、実際には公然たる文化財の略奪だ。写真を見ると、日本軍が銃で武装し、文化財の泥棒を護衛していることが分かる。写真は「江南踏査」に収録されている。
陳教授は日本に5年間滞在し、中国の文化財の展覧会に特に注意していた。一部の文化財の展覧会では、説明書きにいつ中国のどこから得られたものかが公然と記されており、手柄を誇るような印象を受けた。天竜山唐代菩薩像は、山中商会が1934年に天竜山から盗み出し、東京国立博物館に7000円(記録)で売ったものだ。この菩薩像は現在、東京国立博物館の重要な文化財になっている。大きな博物館の他に、一部の経営者や財閥も中国の文化財のコレクターになっており、その多くが非公開となっている。出光美術館は出光グループ(創業者は出光佐三)が開館した美術館だ。この財閥は石油で富を築き、中国古代の磁器を専門的に収蔵している。
陳教授によると、日本人が最も好んで収蔵するのは青銅器、書画、磁器、仏像だ。そのうち中国の多くの唐・宋の時代の書画が日本人に盗まれている。「中国侵略期間、多くの日本の専門家でつくる考古調査隊や視察団が中国国内で活動し、さまざまな手段により中国の文化財を略奪した。
歴史資料によると、日本の東アジア考古学研究室は1928年に旅大の牧羊城遺跡を発掘したことがあり、そして「九一八」事変が勃発し偽満州国が成立した後、同研究室は日本政府のサポートのもとで渤海遺跡(都が中心)を発掘し、文化財を強奪したことがある。これにより、中国の渤海文化財の1万点以上が日本に持ち出された。