英国籍の核物質運搬船が21日、密かに茨城県東海村の港湾に入った。同船は日本の原子力研究開発機構の施設内で保存されている、331キロのプルトニウムを米国に返却するため寄港した。この備蓄量があれば、40-50発の核弾頭を製造できると見積もられている。
日本は長年に渡り、核融合、高速炉臨界装置などの先進的な核技術の研究に力を入れ、大量の核燃料を輸入・補完・抽出し、核兵器の製造に直接転用できる1.2トン以上の高濃縮ウランと、約47.8トンの分離プルトニウムを貯め込んでいる。うち10.8トンのプルトニウムは日本国内にあり、約1350発の核兵器を製造できる量であり、民間用の需要を遥かに上回っている。
「核不拡散条約」の締約国である日本は、「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という「非核三原則」を国策としている。しかし日本は長期的に大量の核燃料を貯め込んでおり、核安全と核拡散のリスクが懸念されている。
「非核国」であるはずの日本が、なぜこれほど大量の核燃料を保管しているのだろうか?これは第二次大戦中の、日本の核兵器の野心から論じなければならない。
日本は1940年代前半、核兵器開発計画を実施した。核燃料と経費の不足により、日本は敗戦までに核兵器を開発できなかった。米国は1951年、日本と「サンフランシスコ平和条約」「日米安全保障条約」を結び、日本の核研究を認めた。
米ソの冷戦時代、日本という極東の「橋頭堡」を守るため、米国は「非核三原則」を顧みず、日本に核兵器を輸送した。米英仏は「科学研究目的」を理由とし、日本に高速炉の実験用のプルトニウムを提供した。今回米国に返還される331トンは、冷戦時代の「ストック」だ。