村嶋孟といえば、日本では有名な職人だ。ごはんの美味しさから、彼の大衆食堂は常に満席。日本の米文化と料理文化の体現者であり、“匠の精神”の代表格である。飯炊きという、家庭内の小事を「仙人」の域まで高めた村嶋の背後には、どんな伝説が横たわっているのだろうか。
「私は1930年代生まれです。生まれた当時は戦争の時代で、物が不足していました。熱々の白米ごはんを食べられるだけで、人生の幸運だったのです」と村島はこの道を目指したきっかけを振り返る。「飢餓の時期を経験したことで、家族には美味しいものを食べさせたいと思うようになりました。その信念が今でも続いています」。
村嶋はごはんに特別な思い入れがある。1963年の開店以来、村嶋は一貫して伝統的なやり方でごはんを作り続けてきた。電気炊飯器は使わず、かまどを使ってきたのだ。半世紀にわたる模索を通じ、徐々に精緻で複雑、しかし流れるような手さばきの、“茶道”に劣らぬ炊飯技術を身に付けた。自然な甘みを持った美味しさを持つそのごはんは、沢山のファンを生んだ。
彼はまずいごはんをごはんと呼ばない。美味しいものをごはんと呼ぶ。ひときわ美味しいごはんだけを「銀シャリ」と呼ぶ。湯気が立つ厨房に立ち、かまどの火を調整している村嶋は、日本の米文化と料理文化の伝統を背負って立つような厳粛な風貌がある。