「私はもう嘘をつけなくなった。ある日、私は車の中に19時間もいた。いつも通りならば、その日に社長や同僚と飲みに行くはずだからだ。やっと帰宅すると、妻や息子に疑われているように感じた。私はいたたまれなくなった。彼らのために稼げなくなったからだ」
徳宏さんは給料日に電車に乗り、会社とは逆の方向にむかった。彼は何も言わず消えてしまった。誰もが彼は自殺の名所として知られる富士山麓の樹海に行ったと考えていた。しかし実際には偽名を用い、窓のない暗い部屋に隠れ、喫煙と飲酒に浸っていた。自虐的な方法で、自分を罰していた。「これほど長年がたち、当然ながら元の身分を取り戻すことも可能だ。だが家族に私の今の様子を見られたくない。私はクズのよう、クズそのものだ。明日死ぬことになっても、誰にも私だと知られたくない」
日本の「失踪文化」
「蒸発する人々」という独特な社会現象は、日本で歴史的・社会的原因を持つ。この現象は日本の歴史上、いくつかの重要な次期に生じている。これは国の恥がピークに達した第二次大戦後と、1989年と2008年の金融危機後のことだ。地下経済の発展により、自ら失踪を選択した人々が生きやすくなっている。例えば日本には「夜逃げ屋」という特殊な会社がある。彼らは人々が寝静まったころ、利用客が全財産を持ち失踪するため手を貸す。
またさまざまな面を見ても、日本には「失踪文化」が存在する。世界保健機関(WHO)の2014年の報告書によると、日本の自殺率は世界平均の1.6倍で、毎日60−90人が自殺している。また数百年に渡り「栄えある自殺」という伝統的な観念が存在している。武士の切腹、第二次大戦中の神風特攻隊は、今日も日本社会に大きな影響を及ぼしている。
さらに日本文化は統一と一致を重視し、個人よりも集団が優先される。日本の「出る杭は打たれる」ということわざ通り、社会に適応的できない人々にとって、失踪は自由を求める形式である。
しかしどのような恥をかき失踪を選択するにしても、最も苦しむのは残された家族だ。家族の失踪による恥が家庭内を支配する。彼らは恥ずかしいと思い、通常は警察に通報しない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年12月14日