中国人は見送りや出迎えを非常に重んじる。小年夜(小年は旧暦の12月23日)に「竈神」を送り、年初四(旧暦の1月4日)にお迎えするなど、相手が神様でもそれは変わらない。中国農村部の一部の農家では、竈の神様である「■王爺(■は火へんに土)」の絵を竈の上に貼り、食べることを司る神様を決してないがしろにすることはない。新華社が伝えた。
大阪出身の兎澤和広さんは、南京で暮らして21年になる。「グルメ」を自称する彼は中国料理に対する造詣が深いが、中国の春節に竈の神を送り迎えする風習については、今回初めて知ったという。
食べ物に対する欲は、誰もが持っている大きな欲だ。中国の飲食文化は極めて豊かであり、舌で中国を感じ、かつ理解する外国人も少なくない。兎澤さんもその一人だ。
兎澤さんが中国で初めて経験した春節は、上海の友人宅で新年を迎えた1997年のことだった。その時の春節について、中国人お手製の「臘肉(燻製肉)」が印象に残っているといい、「あの時食べた臘肉の炊き込みご飯は本当においしかった」と思い出しながら話した。
兎澤さんは、「フランス料理は香りを、日本料理は色と形をそれぞれ重んじている。中国料理は、色・香り・形すべてが揃っている」と、仏・日・中世界三大料理の中でも中国料理は最も際立っているとの見方を示した。だが、彼にとっての中国料理は、味覚の刺激だけにとどまるものではなかった。
「中国料理は文化だ。洛陽の名物料理「洛陽水席」各料理にそれぞれのバックグラウンドがあり、その食べ方にもこだわりがある」と話す兎澤さんは中国料理を作ることはできないが、長い中国生活のなかで代表的な各地の特産料理を全て味わったという。各地方の特色が話題になると、自然とその地に住む人々がどんなものを好んで食べるのかという話題になってしまうのだという。
「日本料理は、素材の味を重視し、四川料理のようにさまざまな調味料を多く使うことはあり得ない」と話す兎澤さんは中日両国の飲食文化に非常に詳しく、中国料理の中では淮揚料理(上海料理)が最も日本料理に近いと話してくれた。淮揚料理は鑑真和上が中国から日本に伝え、今の日本料理の原型となったという説もあるほどだ。
中国最古の医学書「黄帝内経」には、「医食同源、薬膳をもって病を治す」という記載がある。兎澤さんは、先天的な皮膚病を小さなころから患っており、日本の西洋医学では完治できなかった。このため彼は1996年、薬学を学ぶために中国薬科大学に留学した。
「朝は皇帝のように豪勢に食べ」、「野菜は多めに、肉は少なめに」、「病は口から入るので天然でない食品は身体に悪影響を及ぼす」と、薬膳をめぐる話をする兎澤さんは、まるで中医学専門のベテラン医師のように、持病を治すために薬膳を用いた経験について、包み隠さず話してくれた。
兎澤さんは、「飲食文化は常に中日両国の民間交流における橋の一つ。旅行で日本を訪れた中国の友達は、帰ってきた後も本場の日本料理をまた食べたいと言っている」とした。
兎澤さんは「初めてオープンした薬膳の店は、何よりも文化を重視し、経営面については何も考えていなかった」とし、2003年から、南京で薬膳を出す飲食店を3店オープンさせた。最初に開店した2店舗は、経営不振で相次ぎ閉店せざるを得なかった。2015年、大阪で調理師をしている古くからの知り合いに請われ、南京石鼓路で日本料理店を開いた。今回はその成功を確信しているのだという。
南京で長く暮らしてきた兎澤さんは、中国人の友人から見ると、一挙手一投足すべてがまるで中国人のようなのだという。中国滞在22年目となる2017年の年頭に立てた新年の願いは、「自分の中国の夢を実現させると同時に、皆が中国の夢を実現させること」という非常に中国的なものだった。(編集KM)
「人民網日本語版」2017年2月5日