安倍政権はこのほど、「教育勅語」について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」との閣議決定を行った。菅義偉内閣官房長官は、「(教育勅語の)法制上の效力はすでに喪失している。憲法や教育基本法に反しないような適切な配慮のもとで取り扱うことまで否定することはない」と強調した。
だが果たして「否定することはない」と言えるのだろうか。この疑問に答えるには、教育勅語の性質とその軍国主義教育との密接な関係を理解する必要がある。
教育勅語が「軍人勅諭」の民間普及版であり、「大日本帝国憲法」の「道徳的な補充」であったことは強調しておかなければならない。
1882年1月4日、明治天皇睦仁は、「日本近代陸軍の生みの親」の一人である山県有朋が計画し、「日本近代哲学の」とされる西周が起草した軍人勅諭を発布した。軍人勅諭は最初の一句から「我が国の軍隊は世々天皇の統率」してきたものだと強調し、軍人が訓戒すべき5か条を提起している。
1889年2月11日の「紀元節」(日本初代天皇神武天皇の即位日)、「法律によって道徳を代替する」との社会風潮の中、明治政府は、「大日本帝国憲法」(「明治憲法」とも呼ばれる)を発布した。同憲法の最大の特徴は、天皇に最高の地位を与えていることである。「万世一系の天皇は神聖不可侵である」と強調し、政治・軍事・法律・外交の大権をひとまとめにした無限の権力を天皇に与えており、神権の色彩が濃いものとなっている。大日本帝国憲法の第一条は、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定している。
だが権力は無限でも精力は有限であり、天皇の軍隊に対する統帥は陸海軍大臣が補佐することとされた。このような法律・制度設計は、内閣組織権と政策决定権を軍隊に実質的に掌握させ、軍人が権力を独占する禍いの種となり、軍国主義高揚の重要な原因となった。