昭和に入ると、教育勅語はさらに絶対化、神聖化されるようになった。日本政府は、学生は教育勅語を暗唱し、学校は教育勅語を安置する「奉安殿」を作らなければならないと規定した。1938年に日本が「国家総動員法」を採択すると、教育勅語は軍国主義の「聖典」となった。
教育勅語は1946年、日本の教育体系から排除されたが、その基本的な精神は教育基本法にも一部残された。教育勅語による学生の教育という歴史の逆行を日本政府が進める意図はどこにあるのか。社民党幹事長の又市征治は、「安倍政権の国家統制的なところが出ている。時代錯誤の動きだ」と指摘している。まさにその通りである。
安倍首相は2012年、「日本を取り戻す」というスローガンで、自民党を率いて政権を奪還した。2014年の新年の辞でも「強い日本を取り戻す」と訴えている。安倍首相が取り戻したいのは、人類を「運命共同体」とみなし、世界の平和と発展に積極的に貢献する「強い日本」なのか。それとも軍備を拡充し続け、なかなか消えようとしない軍国主義の影を再び表舞台によみがえらせる「強い日本」なのだろうか。日本の最近の一連の動きを考えれば、そのような疑問を抱かざるを得ない。
安倍首相は繰り返し、「日中関係は最も重要な二国間関係の一つだ」「日中関係の改善を希望する」と表明してきた。もし安倍首相にその意図があるのなら、中国の声に真剣に耳を傾けるべきではないだろうか。中国は今年1月11日、「中国のアジア太平洋安全協力政策」と題する初の白書を発表し、「日本側の歴史や海洋などの問題でのマイナスの動向をめぐって、中国側は日本側に対し、中日間の『4つの政治文書』と『4つの原則的共通認識』を守り、意見の相違や矛盾を適切にコントロールし、中日関係の改善の進展の妨害を避けることを求める」とした。軍国主義精神を育てる「聖典」であった教育勅語で日本の学生を教育することは、中日関係の改善の進展の妨害ではないだろうか。(作者:馮●〈Feng Wei、●は王偏に「韋」〉復旦大学歴史学科教授)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年4月7日