現在、人類の食生活は工業化商品に一層頼るようになっており、食品は、「高効率、低コスト」の方向へと向かって発展している。そして、畑や田んぼと食卓の距離はどんどん遠くなり、食卓に並んでいる野菜、ご飯は、誰が作り、いつ収穫したのかなど誰も知らない。私たちは食べ物に対して、なんの思いもなければ、何の疑問もない。食べ物はいつでもスーパーに行けば買うことができる「物」に過ぎないのだ。そのような時代に、心を込めて農産物を栽培する人も少ない。
「リトル・フォレスト」 はそのような時代に生きる私たちに考え方を変え、農業に触れ、もっと素晴らしい食べ物や環境を作り出すよう促すほか、一回り成長するように促す。畑仕事の仕方や商業スタイルなど、同作品はそれら全てを手取り足取り教えてくれているかのようだ。もちろん、同作品は、人を感化させる内容となっているからといって、美しさや深さが犠牲になっているわけではない。同作品は、文芸映画として見ても、十分合格ラインに達している。
いち子の母親が登場するシーンは全て回想と手紙の形で展開され、物語のようで、反省の思いがそこに込められている。そのようなシーンが挟まれることで、同作品全体の雰囲気のバランスが取れ、さまざまな時間軸で描かれた物語になっている。母親と娘について描かれているシーンは、状況によって変わる家族に対する思いを描いているとも言えるし、女性が年齢を重ねるにつれ精神的に成長していく姿を描いているとも言える。また、伝統的なライフスタイルと現代的なライフスタイルの間にある相違点とも融合とも言える。
都市の経済発展がある程度のレベルに達すると、「田舎の生活」へと戻って行く人が必ず出てくる。「リトル・フォレスト」のような物語は、中国でも今増えている。濱斌というある中国の青年は、山地で家を借り、農業に携わりながら、勉強する生活を「山居歳月」という本にまとめている。