「続・深夜食堂」に見る日本文化 料理よりも美しい「死」

「続・深夜食堂」に見る日本文化 料理よりも美しい「死」。 このグルメ街は、元々「鬼街」と呼ばれていた。「鬼街」ではイメージが悪いため、発音はそのままで漢字を変え、現在の名前で呼ばれるようになった。しかし、「鬼街」が元々どんなところであったかは今でも多くの人が知っている…

タグ: 深夜食堂 グルメ街 料理 食事

発信時間: 2017-07-26 16:05:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

ドラマ版「深夜食堂」の人気に乗り、映画「続・深夜食堂」も中国で公開されている。前作とはイメージが異なる同作が描写しているのは、「死」と「食」の関係だ。同作品は3つの小さなストーリーで構成されており、オリジナルキャストが続投し、「深夜食堂」の作風を保ちながらも、日本伝統文化において、料理よりも美しい「死の文化」を描写している。このような作品スタイルのイメチェンに、中国の多くの「深夜食堂」ファンは、まだしっくりきていないようだ。中国伝統文化では、「病気」について語るのも縁起が悪いとされるため、「死」となるともっと敬遠されてしまう。

日本文化の中心にあるのは「桜文化」で、日本人は、桜の花が咲いてはすぐに散っていく、儚く残酷でありながら、心を奪われるその「美」が大好きだ。2009年に、第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」は、「死の文化」を極めて美しく描いた作品と言える。

「続・深夜食堂」の、一つ目のストーリーの中心人物は孤独な中年の女性ホワイトカラー。彼女は、夜になると喪服姿になって一人で街中を歩き回るのが趣味だ。彼女は、恋人がほしく、喪服姿になると男性に一目置かれると思っている。

二つ目のストーリーは、少年と中年の女性の恋を描いている。夫が若くして亡くなり、一人息子に全ての希望を託す女性と、母親が子離れしてくれないことに悩むその息子が登場する。最終的に、その息子が母親のために作った「まずいそば」が、親子の溝を埋めることになる。

三つ目のストーリーは、若い時に夫と息子を捨てて駆け落ちした女性が年を取ってから東京に戻り、謝るために息子を探す様子を描いている。

映画のラストの部分で、「めしや」のマスターは妻の墓参りをし、墓石を磨きながら「こないだのお客さん、親父さんが褒めてくれた豚汁、美味しいと言って食べてくれました」と話す。

この「死」と少し関係のある3つのストーリーから、日本文化特有の死に対する姿勢を垣間見ることができる。そこに激しい悲しみはなく、淡々と憂え悲しみ、その平淡な雰囲気が逆に見る人の涙を誘う。主人公が涙を浮かべて、笑いながら深夜食堂で最後の食事を食べるのを見ると、人生の苦痛や悩みから突然解放されるような思いになる。この世界において、「食」で解決できない苦痛はない。

同映画の最大の特徴は「ゆっくり」としたペースだ。中国の多くの映画・ドラマとは全く違うペースで、それを見ると、浮ついた心が落ち着いていくのを感じる。マスター役に黄磊(ホアン・レイ)が起用された中国版「深夜食堂」とは全く違う味わいがある。

日本ドラマのこのようなゆったりとしたリズムや人生に対する姿勢が、私はとても好きで、穏やかな気分にさせられる。夢の中で「深夜食堂」の香りを漂わせていれば、死もそれほど恐く悲しいものでなくなる。

東直門のグルメ街でネオンが輝き、深夜までにぎわっているその雰囲気はとても自由だ。そこでは、疲れた旅人が素顔を見せており、泣いている人もいれば、笑っている人もいる。そして、歌を歌っているながしの姿もある。そこでもしも亡霊が私のもとに来て酒をくれと言うなら、私は酒を注ぎ、その人の話をゆっくり聞いてみたいものだ。(編集KN)

「人民網日本語版」2017年7月26日

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