手塚治虫は日本に戻ってから、「ぼくのそんごくう」をベースとした作品の製作に着手した。手塚治虫にとって、同作品が遺作となった。同アニメの表紙には、「ぼくは孫悟空」と書かれている。手塚治虫が同作品に込めた意味について、手塚治虫の友人である手塚プロダクションの松谷孝征氏は、「万監督を訪問した後、彼は自分がこの世をもうすぐ去らなければならないことを悟った。『ぼくは孫悟空』を完成させて亡くなる前に、彼は万監督に『行きます』と挨拶した」と明かす。残念ながら、帰国からわずか3ヶ月後に、手塚治虫はこの世を去った。
89年8月、手塚プロが製作し放映されたテレビスペシャルアニメ「手塚治虫物語 ぼくは孫悟空」は、手塚治虫の遺作の一つとなった。同アニメでは、同年代の子供からいじめられていた少年の手塚治虫が『西遊記・鉄扇公主の巻』のおもしろさに胸をときめかし、漫画映画に憧れる彼の胸中に、自分だけのイメージを託したオリジナルの孫悟空が誕生する様子を描く。戦争中、漫画に夢中になっていたため暴力を振るわれることもあったものの、自分の夢に共感してくれる岡本京子に出会う。しかし、岡本京子は爆撃で行方不明になってしまう。その後、精神的な支えとなってくれていた孫悟空の励ましもあり、手塚治虫は漫画を書き続け、「漫画の神様」になる。そして、中国に来て万籟鳴監督と出会い、感激する。同作品の後半は、西暦3010年の銀河系サファイヤ星を舞台にした新発想のSF版孫悟空ら4人が牛魔王と対決する様子を描いている。
手塚治虫と中国の「縁」は、「西遊記・鉄扇公主の巻」に始まり、「ぼくは孫悟空」で終わり、その中心はずっと「孫悟空」というキャラクターだ。孫悟空は手塚治虫と一緒に、中国文化と日本文化を超えて、独特であり、永久に魅力を発信し続ける文化的なシンボルとなっている。(編集KN)
「人民網日本語版」2017年7月28日